今、資産の目標額って具体的にはないんです。
1億円が一区切りだな、と思うんですが、1億円に達したからと言ってそれで十分か、よくわかりません。
蓄財ってきりがないと思います。
資産額でも年収でも、自分より上の人はいくらでもいます。
自分よりたくさん稼いだりたくさん資産を持っている人をニュースやSNSでみると、もっと稼いだり蓄財しなきゃと焦る私は、まだ懲りていないんでしょうね。
資産はこれだけ、と、上を制限するつもりはないけれど、蓄財を優先するあまり、もっと大事なこと(健康とか、家族との楽しい経験とか、食事を自分で作って食べる幸せとか)を犠牲にしたり忘れてしまったりは、したくありません。
とりあえず今は、夫のお給料で暮らせて、私にもお仕事があって、スピードは落ちたかもしれないけれど蓄財ができていて、本当に最低限ではあるけれど子どもたちの教育費と夫婦の老後資金となるような資産額もあるだから、そんなに前のめりにならず、心を落ち着けて今後の生活の軸みたいなものを明確にしてみたらどうだろうか、と思うのでした。
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そもそも、お金がほしいのはなぜだろう。
お金を使って派手な生活をしたいんじゃないんだよね。
使いたいっていうより、たくさん持っていたら安心、もっと言うと、人よりたくさん持っていることに優越感を感じる、たくさん持っているから質素な生活をしていても自尊心が満たされる、私はお金持ちだと自負できる、とか、そのあたりのちょっとドロッとした気持ちが主な気がする。
だから、自分よりもたくさん稼いだり蓄財している人を見ると、気持ちがザワザワするのかもしれない。
これが根源なら、もういくら蓄財してもキリがないし、お金を上手に使う足枷になっているかもしれません。だって、使ったら減っちゃうから。
多少なら、こんな気持ちを持っていることを否定しなくてもいいかな、と思います。でも、これが私を形づくる価値観の大部分だというのは、ちょっと困るなあと思います。
蓄財したお金である程度の安心と安定を得つつ、蓄財とバランスをとりながら生活や非日常体験を大切に紡いでいく、というあたりが、私の願望の近いところなんじゃないかなと思います。
バランスですね。
そう。バランス。
ゼロが100かに走りがちな、ワタクシに必要なもの。
本日は、気持ちの深堀りまで。
具体的なことは次回以降に。