ヨーロッパ紀行 パート 1 

序章

2000年、不思議な縁でヨーロッパに行く事となった

何故?・・・私の人生は何故か? 色々、人とは違った道を歩かなければならない

運命があるのです

この身に起きた事を周りの人に話すと

当然、私がひどい目にあった話なのですが

非常に喜んで頂ける事なのです

他人の痛みは蜜の味と言う・・・アレです

まあ・・・偉そうに・・・言ってはいますが

おそらく、神々が私の事を使って

面白がっているんでしょ

起きた事を人に話し、世間の落ち込んでいる人

困っている人が・・・何となく一時でもホッとさせてあげる

役割の仕事があるようです

このヨーロッパ紀行は・・奇行とも言える話ですが

本当に起きた話です・・・

では・・・5週ぐらいにわたって

頑張って投稿します

 

 

伊豆には温泉のメッカがいくつかある。そのひとつが修善寺奥にある泉質のよい船原館だ。そこの主人の鈴木基文さんと一緒に企画を考える中で、湯治という古来文化を新しい文化として発信しようということになった。そこでまず湯治をTO-JIとした。2002年には全国的な展開となり、私はいつのまにか運輸省の観光カリスマに持ち上げられていた。そこで私は湯治を新しい文化として見直そうと言って歩いた。

 2000年の新世紀創造祭に話を戻すと、その世界温泉博の会場で、私が所属していた温泉文化研究会でブースを出し、『温泉道教本』というパンフレットを配っていた。そこにドイツ人が4人やってきた。

黒い髪を短めにそろえた背の高い女性はカトリンと言う名前で

通訳でしっかりとした日本語をしゃべる

髭を蓄え、ストールを肩にかけたお洒落な男性はシャフナーといい、温泉を使って健康をテーマにしたホテルをプロデュースしているという。

ご夫婦の40代のカップルは東ドイツで健康をテーマにした、ツアーブライフェと言うホテルを経営していると言う

そして久しぶりに日本の湯治文化を研究しに来日

草津や別府など全国の温泉地を回って湯治文化を探したけど目新しい温泉療法はなかった。

あなたは何をやっているのですかと聞いてきた

私は日本の温泉文化を紹介していると言ったら

それをぜひ体験したいということになった

次の日は本業だった菓子製造の仕事が有ったが

なんとかして案内したかった

通訳のカトリンに明日の朝

あなた達の泊まっているホテルに迎えに行って案内しますよ

と言ってしまった

翌朝、友達に車を借りて、彼等の泊まっていた修善寺のホテルまで向かった

約束の時間は10時だったけど 9時半にホテルに着いて

どんな行程で案内するかシュミレーションした

10時1分前にホテルのフロントに入って行ったら

彼ら4人はフロント前にすでに待っていた

カトリンは時計を見て10時ピッタリに現れた事に

ビックリするほど感心していた

ひょっとして・・・約束をしたけど

本当に来てくれるのか?

大丈夫なのか?などと話していたらしい

待ち合わせ時間にキッチリと現れた事

本当に・・・約束通りに迎えに来て

案内をしてくれようとしている事

この行動が彼等に相当に好感を持たれたという事だったらしい

一行をワゴン車に乗せて

下田にある金谷ホテルの千人風呂に向かった

そこの千人風呂は浴槽が3つあり、42度、40度、38度の温度帯がヒノキの柱で区切られていた。

0度帯は大きな浴槽で90センチくらいの深さがあって、歩行浴ができるようにはなっているが、

歩行浴のためではない。真ん中の長いヒノキを使って、柱に手と顔を乗せて腰を伸ばし、

柱に抱きつき、どちらかの肩を湯につけながら足で踏ん張ると、湯につけている方の肩甲骨が伸びる。

同じ体勢で腰をゆっくり左右に振ると、びっくりするほど腰が伸びて、腰の痛みや重みがとれてくる。要は温泉の中でストレッチができるようにつくられているのだ。

 この40度の浴槽に2030分つかって我慢ができなくなったら、今度は42度の浴槽に56分つかる。するとボーッとしてフラフラになるので、からだをひきずるようにして38度の浴槽に移る。

最初は冷たく感じるが、ゆっくりからだの表面(皮膚)に意識を向けて深い呼吸をすると、

やがて、からだ全体に風邪を引いて熱が出たときのようにジワーッと汗が出てきて気持ちがいい。

このわずか2度の温度変化がからだをゆるめ、からだを快感に導いている

あとは40度に再びつかったり、38度につかりながら40度の浴槽に手を入れてグターッとする。その間たえず汗をかいている状態で、まるでゆっくりジョギングしているような感じになる。

さらに露店風呂の湯底には角柱が埋め込まれていて、壁につかまって足をゴリゴリやると、足の裏がジーンとしびれて気持ちがいい。つまり温泉につかりながら足裏療法ができるようになっている

そんな説明を一通りし、日本の温泉文化は自分のからだを自分で治すところだと説明すると、

ドイツ人たちは

ボナバーーーと歓声をあげた。

千人風呂のあとには

熱川の山桃茶屋と言う日本料理の店に連れて行き

早めの夕飯をご馳走、 我が家の店でフラン菓子のデザートまで振舞った

彼等はお金を払おうとしてくれたが

今日、一日の費用は何も心配しなくていいですから

とカトリンに伝えてもらった

その一週間後、

お菓子の厨房で仕事をしていたら

店の電話が鳴った、いつもは電話の音など気にならないのが普通だったが

その電話だけは妙に気になった

カミさんが

チーーフ ベルリンから電話よ

エッ・・・ベルリン?

ドキドキしながら受話器をとった

モシモシ、レンドさん、カトリンです、6月か7月に3週間ほど空いている時がありますか?

スケジュールを調べたら

7月に3週間何もスケジュールが入っていないところがあったので

7月だったら大丈夫と言った

レンドさん、すばらしいプレゼントがあると思います

楽しみにしていてください、ではまた

電話を切ったあと

これから何が?おきるのか? 胸がワクワクした

一ヶ月もしないうちに

郵便局から海外専用の書留が届いた

封を開けてみたら

エアーチケットと一枚の紙が入っていて

その紙には表が書いてあって

その表にはシャルルドゴール・ベルリン・フランクフルト・ミュンシェン

などのヨーロッパの知った都市の名前があって

最後にひらがなで

あなたは、にほんをでてから、かえるまで、なにもしんぱいは、いらない

と書いてあった

なんとドイツへの招待だったのだ

来日していたあのお洒落なシャフナーも同行してくれるという。

あっという間にヨーロッパに行く日が来た