めちゃくちゃ、久しぶりの投稿になりました。2年半ぶり以上です💦。このタイトルでの前回の投稿で、娘が進級できたところまでお伝えしました。それ以降に起きたことを記録しておく意味もこめて綴ります。

 

娘は2年生に無事進級できたとはいえ、相変わらず教室に行って授業を受けることができませんでした。原因はいろいろありますが、一番の要因は不特定多数がいる教室にいると、「流されたデマ情報を誰かが知っているのでは?」と不安を抱くからのようでした。学校には行けても保健室で自習する日々が続きました。

 

夏頃になると、担任の先生(前年の担任とは変わった)から、3者面談の連絡があり、娘・妻・私の3人で学校へ行きました。この時「このままでは出席日数が足りなくなる」と言われました。私にとってこの言葉は寝耳に水でした。というのも前年度にネットで流されたデマをサポート委員会に「いじめ」と認定され、授業に出られなくても登校し保健室なりで自習ができれば単位を認めてくれる措置をされたから、それが続いてると思っていたからです。ところが、その措置は年度ごとにリセットされていたのです。そこで、この年度に改めてサポート委員会に協議できるかどうかを判断するために担当の先生がヒヤリングをするとのことでした。

 

親が同席の中、容赦なくそのヒヤリング担当の先生は、娘が答えづらい質問を事務的にしていきました。私はイライラしながら途中までその質問を黙って聞いていましたが、我慢が出来ず口を挟みました。私の投げかけにも無感情な態度で返答するのみのその先生の態度に腹が立ち少し声を荒げました。すると、その先生は「お父さんは黙ってて、娘さんに聞いています」と言い放ちました。

 

聞かれたくないデリケートな質問と感情的になった父親の姿に心が限界に達したのか、娘が過呼吸になってしまいました。保健の先生が呼ばれましたが、特段治療するわけでもなく、ただ娘を横にして様子を見守るだけでした。その間、娘の症状は悪化していきました。私はもう、居ても立っても居られなくなり「救急車呼べよ!」と怒鳴っていました。

学校に救急車が来て、娘は最寄りの救急病院に搬送されました。結果、事なきを得ましたが、この事件をきっかけに娘は登校も出来なくなりました。私もこの一連の出来事で学校や教員たちへの不信感が大きくなり、娘が登校できなくてもいい、最悪退学してもいいと腹をくくりました。

 

(つづく)

 幼少の頃、家族内での喧嘩が多かった気がします。現在、父は亡くなっていますがそれ以外の家族(母・兄)は健在なので書きにくい面がありますが、その頃の自分の感じたことを思い出しながら綴ってみます。

 

 夫婦(父・母)喧嘩は結構な頻度でありました。酔った母が父に絡み我慢の限界に達した父が手を上げてしまう。そしてそれを兄が止めに入るという感じでした。いわゆる夜の街で商売をしていた両親でしたが、酔った母が父への嫉妬からなのか絡み始め最初のうちは父も言い返していくのですが、やがて母の言葉は口調も内容も酷くなって行きました。そして我慢できなくなった父がついに手を上げてしまうという喧嘩です。興奮しているので上げた手は一発では済まず勢いがついて数発になり、そんな二人のやり取りを聞きかねた兄が止めに入って喧嘩が終わるという感じです。

 

 一軒家の2階で寝ていている私が1階で起きている喧嘩の声で夜中に目が覚めてしまうほどでした。その喧嘩の声に起こされ初めのうちは恐怖でどうしようもなかったのですが、何度も聞いているうちに慣れていきました(笑)。母がかなり口が悪いことや父もそこまで興奮しなくてもなんて考えたり、「あれ、今日はまだ兄も止めに入らないのか?」なんて考えたりもしました。

 

 もう一つの喧嘩もよく起こりました。母と兄の喧嘩です。この二人の喧嘩は口喧嘩なのですが、母の兄に対する言葉はかなり強烈でした。「それは我が子に言っていいことなのか?」と幼心に思っていました。しかし、売り言葉に買い言葉、そこまで言われれば兄も黙っていません。もう、酷い罵り合いの応酬になるのです。最後は我慢できなくなった兄が自分の部屋に籠るか外へ出かけて喧嘩が終わりました。

 

 この二つの喧嘩が頻繁にあり、慣れてくると子供だった私の想像力はあらぬ方向へ飛躍しました(笑)。それは、喧嘩は私にダメな大人の例を教えるための演技なのではないか?父や母や兄は私を教育するために迫真の演技をしているのではないか?などと考えるようになります。なぜなら、あれだけ激しい喧嘩をしたにもかかわらず数日後には何事もなかったように戻っていたからです。恐怖を覚えるほどの喧嘩をしたのに何事もなかったように戻る家族たち。やっぱり演技だったんだと幼い私は自分自身を納得させていました(苦笑)。

 

 悪口を言ったり感情に任せて非難したりすることは非生産的なことを見てきた私は、自分で言うのもなんですが穏やかな性格になることができました。彼らの演技のおかげだと感謝しています(母と兄に怒られるかな…汗)。

 長女が2週間ほどの休みで帰省しています。4月に関東へ進学した長女、少しやせましたがいい顔をして帰ってきました。そんな娘へ旅立つ際に手渡した手紙をアップしておこうと思います(一部修正)。

 

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前略 旅立つレナへパパからメッセージを贈ります。

 

LINEでの長文はたまにあったけれど、こうして手紙を書くのは初めてですね。まずは○○大への合格おめでとう。親への経済的負担が一番少ない学校にしてくれて感謝しています。ありがとう。でも第一志望への合格を勝ち取ってくれたことのほうがとてもうれしく、そして誇らしく思っています。一方で寂しさと同時に今までパパとママの保護下にいたレナが親元を離れ暮らしていくことに心配をしています。特にママは相当だと思います(笑)。ときどきLINEしてあげてね。

 

さて、これからの4年間は○○大の特性でもある、大学生でありながら社会人とういう立場になります。学生兼公務員です。千歳のちょっとお勉強ができたという女の子がいきなり社会人になります。覚悟はできていますか?きっと、ボワ~っとは覚悟しているのだろうと思います。今はそれでいいと思うけれど環境が新しくなるときは、はじめが肝心です。できるだけ早く社会人としての立場や責任を理解し行動してください。そのためのアドバイスですが、レナが上司や同僚から一緒に働きたいと思われるようになることです。看護師としてはもちろんのことどんな職業にでもこれは言えます。具体的に言うと、まずは、ルール・マナーを守ること、次に気を利かせすぐに行動することです。この2つを常に意識して実践できれば周りからの信頼はすぐに得られ、相乗効果でレナの良いところがどんどん伸びていきます。

 

ルール・マナーですが、まずは挨拶です。「おはようございます」や「こんにちは」はママが子供のころから口酸っぱく言ってきたから心配していません。気を付けてほしいのは、何かしてもらったら「すみません」ではなく「ありがとう」と言うことです。謙虚な気持ちからついつい「すみません」と言いがちだけど、代わりに「ありがとう」にすると言われたほうも言ったほうも断然気分が良くなります。次に約束を守ること。特に時間、10分前行動を心がけて遅刻しないように。たった一度でも約束を守れないと信用回復には相当な時間がかかります。必死で守るように。

 

2つ目の気を利かせることですが、一緒に働いている人の行動をしっかり観察して何を求めているのか察するようにすることです。もちろん、察するだけではだめです。行動に移して初めて効果があります。もし、自分が気を利かせてもらったら必ず「ありがとう」と言うこと。一方で、気を利かせてあげたのに「ありがとう」を言ってもらえなくても相手を恨まず自己満足で完結すること。きっと初めのうちは自分ばかり嫌なことや面倒なことをやっているように感じるでしょう。しかし、評価してくれる人が必ずいます。誰かがレナのことを見てくれています。それから行動を速くするコツは「誰かがやるだろう」ではなく「自分がやろう」と思うことです。どんな職場でもそうですが、特に医療現場は時間が重要です。「誰かがやるだろう」と皆が思っていたら救える命も救えなくなります。何事も率先して行動できるようになってください。このような意識の人の多い現場が難局に直面してもスマートに解決していくはずです。レナが高い意識の人達の中でも抜きんでて行動力のある人になることをパパは期待しています。

 

まだまだ伝えたいことはあるけれど、今のレナにはこれで十分かな。これ以上のことは自分が成長していく過程で経験し身につけていってください。新天地でいろんな価値観に出会って人としての器を大きくしていってください。ずっと、応援しています。

 

 

草々

令和2331

パパより

レナへ

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 これを手書きしたのですが、あまりにも字が汚く(笑) 書き直す羽目になりました。普段字を書いていないと全然だめですね。

 

 数日後にはまた関東へ戻る娘… コロナがとても心配ですが、無事にいてくれると信じて再び送り出します。

 世間は新型コロナウイルスによって大変なことになっています。経済が大打撃を受け、明日の生活に困窮している人も少なくありません。そんな酷いウイルスですが我が家に奇跡をもたらしてくれました。「コロナのおかげで…」なんて今は不謹慎な言葉なのでしょうが、こんなことが起きました。

 

 昨年の夏に適応障害を発症した次女、登校すること自体も難しくなり2月に入った段階では出席日数が進級できそうもない状況でした。学校では適応障害の原因を犯人は分からないがイジメと認定してくれて通常8割以上の出席が必要なところ、5割以上へと緩和措置を取ってくれていました。しかし、このままのペースだと進級は絶望的でした。

 

 そんな中、新型コロナウイルスが流行し高校が休校措置を取ったのです。この休校措置が分母である全体の日数を下げることになり5割以上の出席日数がクリアできました。また夏までは真面目に登校し勉強もそこそこやっていたため評定もクリアできました。ただ、学校側も次年度へ向けて本人の意思(やる気)が何より必要だと判断し、親の気持ちと次女の気持ちが一致しているかを確認するために呼び出されました。進級できるという結果を伝える前に次女から気持ちを聞いていた私は学校側にその旨を真剣に伝えました。先生方もそれであればと、しっかりサポートする旨を伝えてくれました。家に帰って次女に進級できたことを伝えると、泣いて喜びました。その後クラス替えもありそのクラスも気に入ったようで、再び休校措置になるまで新年度の数日間はしっかり登校できました。あきらかに以前とは表情も変わったのが分かります。このまま以前の日常を取り戻し笑顔で登校してくれることを祈っています。

 

 多くの人にとってこの新型コロナウイルスは恐ろしく厄介な害悪でしょう。実際、私の仕事への影響を考えれば害悪そのものです。しかし、次女におきた出来事はこのウイルスのおかげでもあります。人生色んな事象に対して負の面もあれば正の面もあることを実感しました。だから皆さんも希望を捨てずに頑張りましょう。今は出口の見えないウイルス被害ですが、きっと終わるはずです。

先日卒業した長女の学校だよりへの投稿です(2回目)

 

 

誰かの役に立つことは

 

父母と先生の会会長 酒井誉介

 

3年生の皆さん卒業おめでとうございます。皆さんには希望溢れる輝かしい未来が待っています。それは、「誰かの役に立つ」という人として生まれてきた存在意義を感じる未来です。

しかし、現在夢や目標がないと焦っている人は意外に多いかもしれません。そんな人は何でもいいので好きなことをやってみてください。映画に行く、音楽を聴く、ラーメンを食べに行く、洋服を買いに行く、何でもいいです。そうしているうちに今度はもっとこうしたい、別のこんなこともしたいと感じてくるはずです。

子供の頃を思い出すと分かると思います。やりたいことや欲しいものが沢山あったはずです。成長していくうちに勉強しないと、習い事に行かないと、部活頑張らないとなど、やらなければならないことに縛られ、好きという気持ちから遠ざかってしまっていたのではないでしょうか。小さい時のことを思い出して興味のあるものをどんどんやってみましょう。そして好奇心を呼び戻し楽しいことをどんどん見つけましょう。そうすることで必ず夢が見つかります。そして目標が定まります。

こうなれば後は突き進むだけです。好きなことを究めることでそれが誰かの役に立つのです。ノーベル賞受賞者も常に好奇心を持ち続け好きなことをやり続けた結果で賞を取ったはずです。生きていくことの意味は難しいと思われがちですが、実はシンプルで簡単です。それは人の役に立つために好きなことをやり続けることなのです。

新型コロナウイルスの影響で用意していた祝辞は書面での配布となり、式典での披露は無くなりました。

 

記録として残しておきます。

 

<2019年度卒業式祝辞>

卒業生の皆さん本日はおめでとうございます。保護者の皆様、お子様の卒業、誠におめでとうございます。また、校長先生をはじめ教職員の皆様、子どもたちのためにご尽力いただき本当にありがとうございました。そして、ご来賓の皆様方にはご多忙のところ御列席賜りPTAを代表して厚く御礼申し上げます。

さて、卒業生の皆さん、今、自分の将来に希望あるイメージができていますか?ちなみに私は高校卒業時、今のセンター試験の前身である共通一次試験の出来が悪かったため浪人を覚悟していました。だからと言って将来を悲観してはいませんでした。一浪して志望大学に合格して夢に向かって突き進むぞと前向きに考えていました。そして、きっと皆さんのほとんども前向きに将来を考えていることと思います。

時代は巡ります。かつての共通一次試験がセンター試験に変わったのと同じように皆さんの多くがつい先日、最後のセンター試験を受けたことでしょう。また、元号も昭和が平成に変わったように平成が令和に変わりました。時代がどんなに変わろうとも若者の情熱は変わらないのだと感じています。将来へ前向きな気持ちを持てている多くの皆さんはそのまま突き進んで行ってください。必ず、明るい未来が開けます。

そこで、今日は、何らかの理由で、いや、もしかしたら理由などなく前向きになれない何人かのためにエールを送ります。高校生活があまり楽しくなかった人、今日までよく耐えました。その忍耐力は相当なものです。だから一度我慢することをやめてみてはどうでしょう?もし、次のステージでもつまらなかったりつらかったりしたら我慢せずに逃げてみてください。ゆっくり心を休ませてください。そして、楽しいことうれしいことを探しましょう。好きな本を読んでもいいだろうし、音楽を聴いてもいい、映画を見てもいいでしょう。とにかく好きで楽しいことだけをしてみてください。しばらくそうしていると、自分と好きなことが同じ人たちに出会います。さらに時間が経つとその仲間が増えていきます。すると、その中には好きなことを究めてビジネスにしている人がきっといます。ビジネスになっているということは、誰かの役に立っている証拠です。その人が世の中から必要とされているということです。

私の持論ですが、人は何のために生まれてくるのか、それは誰かの役に立つために生まれてくるのだと思っています。誰かを笑顔にするために生まれてくるのです。自分が泣いていたりつまらない顔をしていたりして誰かを笑顔にできるでしょうか?好きなこと面白いと感じることを思う存分やって、まずは自分が笑ってください。自分の笑顔が誰かを幸せにするなんてありえないと思う人がいるかもしれません。そう思っている人だって必ずある人達を何度も幸せにしています。十分に役に立っています。もう分かりますよね。記憶にないかもしれませんが皆さんのその笑顔で何度も何度も幸せを感じさせられた人がいます。ね、保護者の皆様。

だから、もし今、心の闇が取り除けないのなら、好きなことを見つけるまで思う存分遠回りしてください。そして笑顔になれる好きなことを見つける旅に出てください。まだまだ皆さんは若い。十分時間はあります。大丈夫、きっと好きなことに出会えます。でも、時間は無限ではありません。つまらない気持ちのまま十代、二十代を過ごしてしまうのか、それとも、今すぐ好きなことを見つける旅に出かけるのか?頭のいい〇高生なら答えは分かりますよね。

最後にこの言葉を餞別に贈ります。「今日より若い日はない」。

 
<2020年度入学式祝辞>

新入生の皆さんご入学おめでとうございます。保護者の皆様におかれましてもお子様の晴れやかな姿に感動されていることと存じます。そして、ご来賓の皆様方にもご列席賜りPTAを代表して厚く御礼申し上げます。

さて、数か月前より世間を震撼させています新型コロナウイルスですがこの日本も大きな被害を受けています。先日の卒業式におきましては卒業生と先生方のみの短縮で行われ私も娘の卒業式を見ることができませんでした。人類は目に見えないウイルスという敵と戦っています。医療技術が進んだ現代においてもこのウイルスに命を奪われてしまう人も少なくありません。このことで暗い気持ちになっている生徒や保護者の方もいらっしゃるかと思います。しかし、人類は歴史上さまざまな病気やウイルスと闘い勝利したからこそ我々はここに存在しています。そして、このウイルスにも勝利をするはずです。だから、生徒諸君のような若者が目を輝かせ勉強やスポーツに心から打ち込める日々が絶対に再開します。

周りの同級生を見てください。学校説明会や入学試験でも感じたでしょうが、真面目でお勉強が出来そうな仲間に見えませんか?こんな見るからに秀才肌の生徒たちでも勉強のことを忘れ若さをはじけさせる瞬間がいくつかあります。学校祭に特にそれを感じますが、部活や日常生活の場面でももちろんあります。いきいきと活動する先輩たちを見てすぐに感じ取ることでしょう。おそらく今の君たちが感じている3年間という長さに比べ卒業するときに感じる3年間は短いはずです。尊い青春の1ページをなんとなく過ごしてしまうのか、しっかり謳歌するのかは自分自身にかかっています。将来の夢のために勉強に青春をかけるのもよし、部活にかけるもよし、恋愛にかけるもいいでしょう。何かに打ち込めるのはとても素敵なことです。それが高校生活においてならなおさらです。好きなことを見つけるための高校生活でもいいでしょう。そこに正解不正解はありません。大事なのは自分で決めることです。義務教育が終了した皆さんに一番成長してもらいたいことは、自分で考え自分で決めて自分で行動することです。失敗していいですよ。高校生活でたくさん挑戦していっぱい失敗した人が一番多くを学びます。だから、挑戦を怖れずいろんなことを行動に移す3年間にしてください。

最後にここで先生方と保護者の皆様にお願いがあります。生徒たちのやる気を決して奪わないでください。「無理だ」という言葉を生徒たちに決して言わないでください。せめて、「難しいぞ」くらいにしておいてください。そして、生徒たちには「どうせ無理」と言わせないでください。「だったらこうしてみたら」と言ってあげてください。この新入生が卒業式には今以上に目を輝かせていることを期待して、お祝いの言葉とかえさせていただきます。

 

 昨年(2019年)4月に長女の高校でPTA会長になり春の学校だよりへ寄稿した文章です。いつの時代も若者は年長者に心配されますが、どの時代の若者もたくましく生きていくのだと思います。

 

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「激動する未来への不安なし」


 この度、父母と先生の会会長を拝命しました。〇高という伝統校でのPTA代表ということで身の引き締まる思いです。一年間の任期ですが子どもたちのために何ができるのか何をすべきかをよく考え一つでも多く実行できるよう頑張ります。
 さて、世の中はめまぐるしく変化しています。日本では少子高齢化が大きな社会問題となり今の若者には将来どんな苦難が待ち受けているのか心配でしょう。道内でトップクラスの進学校である〇高ですが、偏差値が高いことが強みだった時代は終わりを迎えようとしています。それはAIが台頭し暗記力の価値がなくなっていくからです。代わりにクリエイティブな能力やコミュニケーション能力などが求められてきます。そんな世の中の変化に〇高生は適応できるのか不安に思う保護者の方もいらっしゃるかもしれません。きっと幼少期から暗記力に磨きをかけ高い偏差値をキープして〇高に入って来たに違いない生徒たち、今後必要となる能力は身についているのか身につけられるのかと思われるかもしれません。
 しかし、私はあまり不安を感じていません。それは見るからに良い子ちゃん的な風貌の生徒たちですが彼らの眼を見れば分かります。活き活きと輝き希望に満ちた眼です。そして、彼らのクリエイティブな能力は学校祭で爆発します。青春の1ページを悔いのないものにしようと暗記力の鍛錬を一時中断して〇高祭へ全エネルギーを注ぎます。特に三年生のパフォーマンスはビジネスになるレベルです。こんな素晴らしい原体験をする彼らですから激動する世の中にも負けないと信じています。

 

(原文を一部編集)

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精神疾患などで利用できる自立支援医療という制度があります。大まかに言うと、医療費の自己負担の割合を下げられる制度です。イメージとしては健康保険で3割負担のところが1割負担になる感じです。詳細は都道府県などのページで検索してみてください。

 

ここでも書かせていただいていますが、次女が適応障害になりました。その情報収集をネットなどでして初めて自立支援医療というものを知りました。心療内科へ連れて行った時には医師はもちろん受付の方も何も教えてはくれませんでした。初診で適応障害と診断されたにもかかわらずです。病院によっては積極的に教えてくれるところもあるのでしょうが、どうもこういった国や自治体の支援制度的なものへの情報提供は薄いように感じます。現代はインターネットの普及により様々な情報が得られますが、一昔前だと知らないままでいたかもしれません。

 

自らさまざまなことにアンテナを立て、情報を取りに行かなければならないというのはあるべき社会の姿なのかと考えてしまいます。社会的弱者(この表現が良いのか分かりませんが)のための支援制度情報が肝心の対象者に伝わらないのであれば意味がないはずです。政治家は法律を作っただけで満足していないでしょうか?その法律でしっかり弱者を救える仕組みも整えてほしいものです。

夢で見たことと同じことが起こる、いわゆるデジャブっていうのを経験したことのある人は結構いるのではないでしょうか。私の場合はこのデジャブが1週間以上続いたことが2度ほどあります。

 

1回目は小学2年のころ、学校でテストを受ける夢で全く同じことが起きました。テストの中身まで覚えていて実際に同じテストでした。2回目は中学2年のころで部活の夢でした。これもまた同じことが起きました。長くデジャブが続いたのはこの2回ですが、単発でのデジャブはときどき起こりました。

 

数回経験していくうちに、デジャブを途中で終わらせることができるようになりました。デジャブだと気が付いたときに自分の行動を夢で見たものと違うことをするのです。すると、デジャブが治まるのです。良い夢の時は同じ行動をして良い結末を迎え、悪い夢の時は違う行動をし悪い結末を回避するようになりました。年々、デジャブの発生は少なくなり現在ではほとんどありませんが、これは果たして本当なのか思いこみなのか自分でも分かりません。

 

皆さんもデジャブが来たら私のやったことを試してみてください。

前回の教師による新ストレスでまた足が遠のいていた学校に、今日、午後からですが登校しました。LINEで妻から報告がありました。最寄りのJR駅へ向かう次女の後ろ姿の写メまで送ってきました。その姿に涙が... 学校へ向かう後ろ姿で涙が... こんな当たり前の日常なのに感極まりました。少しずつで良いので快方へ向かって行ってくれればと思います。