この史実は、私が中学校の時、社会科を教わった先生が、「古文書」で読む足尾の昔という章で、紹介してくれ初めて知った事実です。
その内容とは、幕府の命により農業荒廃を復興させようと取り組んだ、二宮金次郎が、足尾に来たのは、嘉永六年(1853年)私が生まれる100年前です。
お伴を4人連れ、古峰ヶ原(鹿沼市の方向から)を越えて足尾入り、14か村視察したそうです。その時の日記には、「(渋川)の足尾権現に詣でる。川水は錆(さび)色。銅気が強く作物はできないだろう」と記されております。同村のおり、原・唐風呂の村役人が次のような要請書を「御取次衆」に渡しております。「羽毛向山中(現在の源五郎沢堆積場)の荒地を起こして畠にしたが、良い作物ができないので、檜や杉を杉を植えたらどうか教えてください」との内容でした。二宮金次郎はこの時すでに重い病気にかかっており、「本人は足尾に来ていない」と見られていましたが、しかし今市にに残る記録とこの古文書が一致し、確認できたそうです。

先生、授業で教えてくれば良かったのにと思う昨今です、戦争に行った事ばかり、おもしろおかしく授業をしていたので、こんな研究していたとは知りませんでした。
その息子と、教育実習で一緒になり、教壇に立った事を思い出します。
その先生も他界し、息子は教員にんりました。

 参考文献:「町民がつづる足尾の百年第二部:光陽出版社P178)

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