サピの退塾手続きは、電話で所属校舎に連絡して、一応形式的に担当の先生から電話がかかってきて、

経緯や理由を説明して、退塾の意思が変わらないことをお伝えし、最後に学生証と退塾届を提出(または郵送)して終わり・・・

ということで

 

4年間お世話になった兄の時には知らなかったこの手続きですが

妹は短い期間で退塾の運びとなったわけですが、とっても簡素なものなんですね。。

 

ちなみに、親である自分の経験は今の子供達に全く参考になることなどないかもしれないですが

 

私は超ゆるふわ中学受験をして、偏差値なんてサピのような塾の作る表に出てこないぐらいの中高女子校に行き、

そこからいわゆる私大の中で偏差値トップ(昔も今も)学部に現役合格して通ったことがあるので、

「中学受験で最難関校」の重要性必要性をそこまで自分自身が感じていないということがあります。

 

小学校時点での偏差値なんて、決して生涯を決めるものでも 何かが固定化されるものでも 保証されるものでもないと信じています。

 

たまたま兄はうまく行き

たまたま妹は合わずに途中退塾するわけですが

 

兄がうまく行ってほぼ親の伴走なしに最後まで走り抜けたのは本当にたまたまであり、ラッキーなことでもありました。

 

兄の最後の方半年ぐらい〜妹のここ数ヶ月を見ていてわかったことですが

サピは解説・説明を家庭内に委ねるスタイルで授業が進行していきます。

6年生の最後の直前期の授業など、ほぼ演習問題を解かせる時間と、答え合わせで解説などはありません。

低学年の授業は見たことがありませんが、娘に話を聞くと授業の中で解法や考え方を教えてもらうことはあまりなかったように感じます。

 

兄の同級生でα常駐君は、後から聞いたところ親御さんが3年生入塾当初から1問ずつべったりついて解説と解き直しを繰り返していたようでした。全ての科目です。

また、4年生ごろから、クラスが落ちないように、または上がるようにと個別塾に並行で通わせるという話もあちこちで聞きました。

 

私自身が中学受験で通っていた塾は違いました。

私の通っていたのは今で言うとenaの前身と言っていいかわかりませんが、国立学院予備校というところでした。

クラス分けや成績順位で変わる席順などはなく、他の子の位置など気にせずに通い、国語や算数の先生の熱心な授業が学校の授業と違い、なるほど!そう考えるんだ!と、いつもドキドキしながら塾の授業に通っていたことを今でも覚えています。

 

勉強は誰かより上に行くためにするものではなくて

自分がわからないことをわかるようになるためにするもの、と感じていました。

 

大学受験の時期になると、それは流石に「誰かよりも良い成績でないと、入れない」と言うことが実感として分かるため、

普段の模試の順位などが気になってそれを上げるために努力を重ねていくようになるのですが、、、それは高校生の自我があるからこそできることです。

 

小学生で、まだ勉強の面白さどころか、人生の面白さも探り始めたところ。

友達と遊んだり、体を動かしたり、何かを作ったり初めてのものに出会ったり、が何より楽しいお年頃で、

勉強となるとなぜか「あの子の方がすごい」とか「貴方はあの子よりできない」とか言われて、「もっとやれもっとやれ」と追い立てられるばかり・・・

 

だとすると、その小学生から感じる勉強って、面白さを感じられるものになるのだろうか、と心配になります。

 

兄の方を通わせていた間も、常に気にしていたことは、「人と比べられて自尊心を傷つけられていないか」「または、逆に傲慢になっていないか」「勉強を嫌いになっていないか」と言うことでした。

兄はなぜか順位や点数をあまり気にせず、自分より上がいても飄々としていたので心配せず最後まで通わせられました。

一方、妹は気にする性格です。

サピに入ってたったの半年少しで、自分はできない、と言う気持ちが植え付けられそうになってしまっていました。

 

即座に辞めさせる自分の決断の速さを、こればっかりは褒めてあげようと思います。

大丈夫です。娘に合う勉強法と塾がきっとあります。

全く心配していません。

せっかく、長年お世話になったサピにさようならするのはやはり一抹の寂しさはありますが、、

そんなの親のただのノスタルジックな感情ですね。

 

気にせず、楽しく我が家はやっていこうと思います。

娘の復習テストの結果を見ながら、やや上から目線で物を言いたそうな顔をしている息子の心の方が心配です。

マウントする側って、自分が持っているものだけを見て自分に足りないものに気づかずにいるんですから、困ったものですね。