「殿、櫻井が何やら不穏な動きを見せております」

「なんだと?」

大野は眉間に皺を寄せ、思案にふける。

大野と櫻井は元々の先祖は同じとするが、何かと競い合う家同士であった。けれど、若き現当主たちは何故か気の合うところがあり、近年では両家の関係も穏やかなものになりつつあった。

で、あるのに。
何故今になって櫻井側が不穏な動きを見せるのか。大野の現当主・智は俄には部下の言葉を信じられなかった。

けれど、しばしの思案の後にふと一つの答にたどり着いた。

「まさか……かの姫君の為、か?」



頭に思い浮かべるは、山梔子色の大陸の着物を纏った、不思議な魅力を持った姫。


先日の信長公主宰の花見会で大陸からやって来たと紹介された姫。
天下泰平の祈りを込めた舞を舞うよう命じられ、姫は舞台に上がった。

まるで天女の羽衣のような薄布をひらひらと風に泳がせれば、それと戯れるかのように桜の花びらが舞う。
それはまるで、姫が花びらたちと会話をしているようであった。
軽やかな足さばきとひらりとした指先は、やがて艶をおびはじめ、色香を纏った視線が宴会場に集った男たちを射ぬいた。

そうして妖艶な舞を舞って、皆を虜にした姫は、けれどすぐに姿を消してしまった。

智は気づいたら駆け出していた。

姫の男たちを射ぬく視線は、ほんの一瞬智のところで止まった、ような気がした。その瞬間に一目惚れした智はどうしても姫と話をしたいと思います思ったのだ。

あちこち探し回り、宴会場から少し離れた桜の老木の元に佇む姫を見つけた。
先程見せた妖艶さはそこにはなく、ただ幼いあどけない表情をみせる姫。

「素晴らしい舞でした!」

興奮気味にそう言った智に、姫は少し驚いた様子を見せ、すぐに困ったような顔をした。
大陸から来た姫だから、もしかしたら言葉が通じないのかもしれない。

智はそう思い、一生懸命身振り手振りで先程の舞を讃えた。すると、姫ははにかむ笑顔を見せて、ありがとうというようにお辞儀をしてみせた。

ようやく心を通じ合えたか、と思った矢先、姫を呼ぶ声がして彼女は行ってしまった。智の手に自らの簪を残して。

智は手のひらに残る山梔子の花を型どった簪をそっと撫でた。

呆けているところに、櫻井が自分を呼びに来た。

「大野どの。こちらでしたか。急に駆け出されたので驚きました」

智は簪をさっと懐にしまうと振り向いてふにゃりと笑った。

「櫻井どの。失礼した。急に用足ししたくなってな」

明らかな嘘だが、櫻井は特に追及しなかった。

「左様ですか。済んだのなら、戻りましょう」

そういってくるりと踵を返した。

櫻井のあまりの素っ気なさに、智は少し違和感を覚えた。幼い頃はそれこそ名で呼びあった仲であるのに。振り向いた時から、櫻井の面に表情が感じられなかった。

それは、やはり……………。


普段は鈍い智も気づいていた。
櫻井も、かの姫を自分と同じような目で見ていたことを。

櫻井も智同様、山梔子の姫に一目惚れしたのだ。





あの日から櫻井には会っていない。

だがまさか。
一人の姫を手に入れる為に、己と同様の思いを抱く智に対して戦を仕掛けるようなことをするとは。
賢く冷静な普段の櫻井からは考えられない。

もしかしたら、とんでもないことになるかもしれない。

不意に智の脳裏に、赤い兜甲冑を身につけ不敵に笑う櫻井の顔が浮かんだ。