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⚠️楽しい人生歩んでません。
気分害する恐れがあるので自己責任でお願いします。⚠️
高校入学と共に相談していた彼とは別れる事に。
彼も彼の人生がある。
バイト先の人が好きになったと言われて別れた。
父も母も相変わらずで、家の中は凄いことになる。
父は無職のまま高校でもPTA会長を務める。
そして新たな浮気を楽しむ!
ここまでくると笑いものである。
脳内チ〇コやん。歩く性…否。チ〇コやん!
高校に入ると私はバイトを始める。
そうケータイのために!
小学校の時に惚れた女の子は別の高校(専門系)に進学。ケータイを持つようになり、毎日メールを楽しむ。
週に3日くらい会うようにしていた。
ある日突然「私彼氏出来た!」と言われた泣きそうになった
良かったねー!と言って応援していたが辛かった
そしてまた自暴自棄✨
原因としては父親からお前はヤク中だ!と訳の分からない因縁を吹っかけられ
学校の先生と喧嘩をし
好きな子が彼氏出来たとの報告
やってられないZE✩
そしてネットで知り合った人と遊ぶようになる。
そうそれがいまの旦那の弟だ。
この頃から家に帰らなくなった。
バイトと好きな子の家や、旦那の弟の家に入り浸る生活。
学校にも行かなくなっていた。
学校行くと決まって父親の話しを誰かしらからされるし、先生と喧嘩したからね🤪
好きな女の子はと言えば、とてもとても幸せそうだった。
メールや、電話、あった時の会話はいつも彼氏のことだった。
それと同時に彼女の父と母が離婚した。
彼女は父子家庭になった。
それでも「彼氏が居るから大丈夫だよ!」と笑っていた
彼氏くんに「絶対幸せにしろよ!」と念を押して
私も前に進むことを決めた。
そして帰国子女の今の旦那さんに人間として魅力を感じて付き合うようになる。
私の知らない世界を教えてくれる。
どれだけ小さな世界で悩んで苦しんできたのかバカバカしくなった。
外人の友達が沢山できた。
LGBTであること、父と母からの離脱、自分は自分なんだから我慢しなくていいこと、自分の思いは誰にも抑圧させられないこと…沢山の事を教えてくれたのは今の旦那であり、沢山の友達だということ。
幼少期から思った事を言えば怒られる、迷惑になる。と自分を押し殺して生きてきた。
曖昧な返事でやり過ごすことが身についている。
しかし!
外人と話す時は自分の気持ちをハッキリ示さなければならない。
日本語のように曖昧な回答がない。
yesかnoのどちらかだ。
ここから自分が変わって行けた。
父と母にこだわらず学校という小さなカテゴリーに収まらずに行こう!と晴れて自由とはなんぞや!を知る。
が、しかし母の癌が発覚。
手術を受けたり、抗がん剤したり。
ま、死ぬことないだろう!
って余裕ぶっこいてました。
相変わらず学校に行かなかったり、彼氏(現旦那)と遊んだり、PTA会長の娘だからと先生からアゲアゲされたりしていたので同級生からはいい顔されるわけが無い!
て、事でイジメにあう
と同時に本格的に境界性人格障害の治療をするように。
薬の副作用から眠さとダルさが相まって学校に行くことが体調的に困難になってくる。
午前中はなかなか動けなくていつも午後から。
保健室登校がメインに。
それをよく思わないのが同級生はもちろん、1番は父親だった。
PTA会長の娘が不登校とはどうゆう事だ!から始まり、〇〇さんの娘さんは〇〇大学に行くらしい!、〇〇さんの息子さんは〇〇大学だぞ!とやたらと他人と比べてくる。ことに嫌気が指す。
朝も起きれずにいるとヤク中だから起きれないんだ!と言われるものだからほぼ家に帰らなくなる。
そして高校3年の時娘の妊娠が発覚。
自分の卒業式には出ず。PTA会長の言葉で相当いいように言っていたらしい。
訳あって旦那とは籍は入れず未婚シングルマザーで娘を出産。1年遅れて大学に入学した。
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⚠️楽しい人生歩んでません。
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好きな女の子を追いかけ中学に入学した後、その女の子に好きな人がいることが発覚。
表向きは応援していたが内心複雑。
女の子が女の子に告白だなんて出来るわけがない!
半ば諦めながらも応援してるフリをしてそのこといつも一緒にいた。
父と母は相変わらず。
が、しかし!
なんと父親が中学でPTA本部役員に。
とりあえず意味が分からなかった。
今まで学校行事に来たことがない。
きても少しだけの人が何故?
どんな心境の変化だ?
まさか女子好きがバレたか?
とヒヤヒヤした。
どんな心境の変化なのかいまでも謎のままだがPTA役員になり、3年間でPTA会長になった。
PTA会長になった父と昼間学校で会うことが増えた。
そう父は無職だったからだ。
学校の先生からは「らむ仔のお父さんは立派だなぁ」
「らむ仔のお父さん今日も頑張ってるな」
「らむ仔ちゃんは大事にされていて幸せだね!」
おいおい何を見て言ってんだよ。
相変わらず暴力暴言は病むことは無く、顔にアザを作って学校へ行った。
「父親に殴られた!助けて欲しい」と訴えた事もあるが、「そんな事するような人じゃない」「らむ仔が悪いことしたんだろう」と話も聞いてくれなかった。
大人嫌いが加速。
チ〇カス〇ね!と心の中で思っていた。
と、同時にイジメられるようになる。
靴を隠されたり、ノートをビリビリに破かれたり、容姿を馬鹿にされたり。
その頃からズル休みをするようになった。
この頃母は仕事と弟たちで手一杯で私の事に興味なし!(元々ないけど)
部活の顧問は父子家庭だと思った。と言っているくらい母はノータッチ。
なのでズル休みをしても昼間は誰もいない。
あれ、無職の父親はどこにいたかって?
新しい浮気を楽しんでいたよ!
父も懲りない男である。
私は学校に行ったり行かなかったりをしながらも当時相談に乗ってくれた男の子と付き合うようになる。
もちろん女の子が好きだと言うことも、大人の男性と遊んでいたことも知っての上だ。
建前上男と付き合っているかのようにした方がその子も近づきやすいだろうと。
とても親身になってくれた。
それから都立高校に無事(?)入学する。
裏口入学では無いのだが、校長先生からアドバイスや、希望校の先生からのアドバイスは人一倍貰った。こればかりは父に感謝だ。
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相変わらず父も母も私へは無関心。というのは置いといて。
引越しと同時にDVが激化。
激化と共に父と母からの暴力やら罵倒開始。
姉がいた事が唯一の救いだった。
家の中はめちゃくちゃ、晩御飯がぐちゃぐちゃ。
皿は割れ、グラスは割れ、母が風呂に沈められるのを見たり、顔がアザだらけになるのをみた。
グーパンで母を殴る父親。
非力ながらも止めに入って殴られる始末。
弟たちを避難させるのに精一杯だった。
殴られる母は決まって自殺未遂をする。
首吊りやら、ODやら…
私も今まではパパもママも大変だから私は黙っておこう。と思っていたものを自分の考えを少しづ親にぶつけるようになるとそれはそれは力でねじ伏せられるわけ
父には「子供のくせに黙ってろ!」と殴られ
母には「あんたのせいでパパに怒られるんだ!」
と首を絞められた。
そのうち私自身も自殺願望が出てきて生きていくのが辛くなった。
姉はいつの間にか結婚していた。
あんな家には居たくなかっただろう。
私も弟には悪いが家にいたくなかった。
外で友達と遊び、祖父母の家に入り浸る。
その頃はじめて"彼氏"と言うものが出来る。
遊んでる友達の延長だけど。
一緒に歌うことが好きだった
放課後に歌った。
バスケをした。
楽しかった。
(因みにその彼は今歌手です😆人気のアイドルグループへ作詞作曲も務めてる自慢の元カレさんです)
そんな中、2度目の転校及び引越しです。
彼とは別れ、祖父母宅からも遠い所に。(電車で1時間)
相も変わらず父のDVは止まず、私への父と母からの暴言暴力は絶えず。
自殺願望MAXな私は自暴自棄から大人の"男性"と遊ぶように。
この時から男がクズで気持ち悪い存在だと認識。
恋愛対象が女性へ。
転校した先の同級生の女の子を好きになる。
母は働き始めて私は小学校を卒業。
好きな女の子と同じ中学を志望して学区外の学校へ。片道30分くらい
因みに学区内の中学は5分くらい
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1990.9.19 AB型(RH+)おとめ座!
千葉県千葉市にて、一応長女として産まれる。
私が次女である事は後にしります。
私が産まれるのを祝福してくれた人は何人居ただろうか…
後になって聞いた事。
母は私を妊娠中にDVにあっていたそうだ
離婚すれば良かったのに!と思ったがきっと母は親戚もいない、知り合いもいない所に上京してきて頼れる人は父だけだったんだとおもう。
父にも母にも頼る身内は居ない!と聞かされている。いや。居るんだけどねきっと謎なプライドが彼等を邪魔したんじゃないだろうか。
断片的に覚えている自分の最古の記憶は上の弟が生まれたときだ。
2つ離れた弟はそれはそれは大きくてまん丸だったのを覚えている。
父方の祖母と病院に行った事が最古の記憶。
可愛い可愛い弟の誕生
その次が弟が怪我をした時だ。
母方の祖父たちと東京タワーへ観光しに行った時、(東京タワーで似顔絵屋さんに書いてもらった絵はまだ実家にあるんだろうか…🤔)
観光したのち帰ろう!とワゴン車のスライドドア開けたら…
弟が落ちてきた。
もう衝撃すぎてそれしか頭に無かった。
救急車を誘導する父を鮮明に覚えている。
弟は救急車で運ばれて行った
当時状況は分かっていない。
連れていかれた、パパもママも居ないずっと病院。それしか覚えてない。
まぁ状況は最悪。
弟は脳を損傷。
半身に麻痺が残り、現在も全介護だ。
意思の疎通は赤ちゃんと同じくらい。
重篤だったんだ。と理解したのは小学校入学前だった。
父がおかしくなったのはこの頃からだったんだと思う。
父は母を責めた。「お前のせいだ!」とよく母に罵声を浴びせていた。
母は母で「私のせいだ。」と嘆いていた。
私は私で車の戸を確認せず開けたと自分を責めた。
保育園に通い出す前までは母に連れられ小児科へ
もちろん小児科病棟には入れないので、病棟前のエントランスで1人で待つことが多かった。
1人で黒ひげ危機一髪とか、絵本読んだりとか、たまに看護師さんが遊んでくれたり。ぬりえ貰ったり。折り紙貰ったり。
少し寂しかった気もする。
後に保育園に入り、友達が出来て楽しかった。
それと同時に母はよく笑うようになった。
親に遊んでもらった記憶は無いが周りに凄く恵まれた。
父の会社の人、保育園の友達、友達の親、先生。祖父母みんな気にかけてくれた
そして、小学校入学前!登場マイ 姉様!
父親違いのお姉様です❤
母の前の旦那さんのお母さん(お姉様の祖母)のお家で暮らしていたのだが遊びに来るように✨
嬉しかったですよー弟以外に兄弟がいたこと!
しかもお姉ちゃん❤
歳は離れてるけど、楽しかった
小学校入学。森の中の小学校。
小さな学校だったが友達も沢山できた!
友達と遊ぶことも増えた
そして相変わらず家の近所の父の会社へ遊びに行くこともあった。
そうそこで出会ったのです。
父の愛人!
それはそれは良くしてもらいましたよ。
会社のお姉さんって感覚だから
お菓子もらったり、学校迎えに来てくれたりしたな…
そんな中下の弟が産まれる。
これはまた楽しみで楽しみで、陣痛が来た朝もワクワクドキドキ❤
学校が終わったら赤ちゃんに会いにいくんだ❤とみんなに自慢した!
弟は二人とも可愛い!父と母は好きにはなれないが、姉も弟達も大好きだ。そこは親に感謝。
そして、とうとう母に浮気がバレてからの修羅場が半端ないわけ。
離婚する話から、DVに発展。
祖父母が助けにくる始末。
父もその愛人もクビになり、私たち一家は弟の病院がある東京へ引越し。
友達と離ればなれになって寂しかったけど、祖父母の近くに引越しだったので苦ではなかった。
次回へ。