小6の時、仲良しだったコ達に突然省かれた。
親が学校に乗り込んで行ったら大問題になり、何故か私がクラスメート全員の前で涙ながらに謝った。担任の指示だった。
今でも、どうしてあの時、謝らなければいけなかったのか分からない。
中学1年と3年の時には、虐めの内容は陰険になってった。
1年は、女子からシカトと暴言。
3年は、クラス全員から暴言、暴力。嫌がらせも半端なく全力で仕掛けられてた。
朝、学校に行くと上履きの中に、ガラスの破片や画鋲や砂、べっとりと接着剤、落書き。
教室に行くと、自分の机の上に「みなさんさようなら」という落書きと、菊の花が飾られていた。
それをぼーっと見つめてると、「あれ?死んだんじゃないのー?」「うわっ生き返ってるー!キモーイ!」って言われる毎日。
しまいには「ねぇ、いつ死んでくれんのー?」とまで言われてた。
そんなに望んでいるなら、本当に死んでやろうか?お前らの前で。
本気でやろうとした時、親の顔が浮かんで、出来なかった。

授業はどれもこれも面白くなくて、頭にも入ってこない。
それもそのはず、その日その日の虐めを、どうやって耐えていくかで頭がいっぱいだった。
成績も出席日数も、高校さえ行ければいい最低限で良かったから。
勉強はどうでも良かった。

昼休みになると、お弁当を開けた瞬間、上から粉状のチョークが大量に降ってきた。毎日。
でも、食べた。
母親が毎朝早起きして作ってくれたお弁当を捨てることなんて出来なくて、チョークがかかってない部分だけ食べていた。
だから、いつもお腹が空いていた。
「コイツ、チョーク食ってるー!おいしいの?頭大丈夫ですか~?」なんて言われても無視。
早く食べないとまたチョークがかかってくるから、かき込んで食べた。
あるときは、みんなが帰ったあとにお弁当を食べる時もあった。
部活から戻ると、バッグがゴミ箱に入っていて、取り出すと油性マジックで「死ね」「殺す」「ブサイク女」の文字。
バッグの中身は、チョークがいっぱい入っていたから、取り出して、マジック跡はなんとか薄くして帰る。

教科書は焼却炉で燃え、ローファーは刃物でズタズタに切られて履ける状態じゃなかったから、上履きで帰った。
こればかりは、親に隠せなくて「なくなっちゃった」だけ言った。次の日には新しいのが用意され履いて行ったが、下駄箱には入れず、持ち歩いていた。
教科書がないことを最初は教師に怒られたが、誰のせいにもしなかった。理由も言わず、黙っていた。
授業が始まる前に職員室へ行って、借りるのが日課だった。

それでも、学校には行ってた。親に「虐められてる」なんて言えなかった。悩むのは自分一人で充分だし、親を悲しませたくなかった。



当時流行っていたラルフローレンのカーディガン。
コピー品が出回ったりして、ダサく見えたから、ラコステのカーディガンやベストを買い与えてもらった。当時の中学生はまだ服のメーカーに疎いので、それを着る優越感に浸った。
「普通、中学生のコなんかにメーカー物買わないし、うちの学校の奴はこれは知らないだろう。買えるもんなら買ってみろ」という、見下しと見栄。

物で対抗していた。
小さな抵抗。
今思えば、虐めのストレスを物で解消していたんだと思う。
親は私に、欲しい物は全て買い与えてくれた。
何も聞かずに…。


それでもストレスは溜まった。胃が痛くなり、毎日嘔吐し、学校に一日いられなくなった。
朝、家の玄関に立つと動かなくなってしまう。
靴をはくことが出来ない。
泣いてしまう。

なんとか学校へ行っても、午前中だけとか、学校行ったフリをして海行ったり、買い物行ったり。

本を読むのは大好き。

日記・ブログを書くのは大の苦手。続いた試しがないし・・・。


でも、今回始めようと思ったのは、自分の頭ん中を整理したいと思ったから。

目に見えるモノに残しておいて、頭やココロにいっぱい詰まったモノをほんの少しでも吐き出せたらな。

って思う。