旅行から帰ってから、うちにいるのは退屈でしょうがなかった。日本語の本を見つけたので、借りてきて読んだ。

小川洋子さんの『ことり』。
『博士の愛した数式』を書いたのと同じ人だ。この人の文章が好きだなぁ、と思う。


『ことり』
あらすじはこんな感じ。

幼稚園の鳥小屋を掃除している小父さんの、子供時代から死ぬ時までを描いている。彼は「小鳥のおじさん」と呼ばれている。その人生は、常に小鳥との関わりがあって、小鳥なしには語れない。

主人公でありながら、小父さんはとても遠慮深い。子供時代なんて、ほとんど小父さんのお兄さんを中心に物語が進められる。

大人になって小父さんはゲストハウスで働く。お兄さんとの2人暮らし。鳥小屋の前で小鳥の声に耳を傾け、毎晩ラジオの声に耳を澄ませる。毎日繰り返される規則的な生活からは、退屈さよりも温かさが伝わってくる。

お兄さんが亡くなった後、小父さんは一人暮らしになる。小父さんの生活の中には、いつも小鳥の姿があった。
小父さんは結婚してなかったから、子供もいない。身寄りのない高齢者の一人暮らし、と聞くと何かとても寂しい感じがするよね。でも寂しそうな様子が書かれる代わりに、小父さんが街の中で出会った人たちが登場する。図書館や青空商店や公園で出会った人々との関わりを、ひとつひとつすくい上げるように。
小鳥の声に耳を澄ませるように、小父さんは彼らの声に耳を澄ませる。あるいは、耳を澄ませる誰かの姿にお兄さんを思い出す。

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この本を読んで、私は時間をかけて培う熟練の技、ということについて考えさせられた。

小父さんはほとんど完璧に仕事をこなすことができる。ゲストハウスの仕事も、ボランティアのように無給でやっていた鳥小屋の掃除も。その仕事を長年繰り返してきた小父さんは、ゲストが来たときにどう対応すべきか、鳥の餌の中身、置く場所、全て知り尽くしている。ひとつひとつの作業は「儀式のように」、決して手ぬかりなく行われる。

例えば、陶芸家や大工さんみたいに、世間で「職人技」と賞賛されるものではないかもしれない。ゲストハウスでの細々とした対応や、鳥小屋の掃除は、どれだけ完璧にやり遂げたとしても、地味な仕事であることに変わりはない。

中にはもちろん、小父さんが仕事する姿を見て評価してくれる人たちもいる。小父さんが鳥小屋の掃除をしていた幼稚園の園長先生や、ゲストハウスに招待された図書館の司書もきっと小父さんの仕事に気づいたかもしれない。
この本の作者は、本を書くことを通して小父さんみたいな熟練の技にスポットを当てていたように私は思う。眩しく輝くライトではなく、提灯みたいな優しい灯りを。


以上、私の感想のほんの一部です。
これ以上書くためには、もう一回読み直したくなってしまう。