私が、設計事務所に入社してから気になった事は、自分自身が現代建築に感動した事がない。

そして、興味もないのか有名建築家たちの作品を見ていても「大変だろうな」「すごい」と思うだけで、特に感情が動くわけではない。


興味がない上に無知だからだとは思うが、無機質さを感じる。

何も知らない事に批判はできないのだが、実際に私が感じている事である。

完全に素人目線での感覚で、それを感じている。


私が感動した建築のひとつは、サクラダファミリアである。

ファサードは彫刻で覆われており、館内も光のさし方に癒されるだろうが、それ以上のものを感じられるだろう。

あの構造設計は計算によって造り出されたカタチではないからだ。

ガウディーは物理を苦手とする。

そこでガウディーは、重しと糸によって作り出される曲線を構造設計とした。

紛れも無く自然が作り出すカタチであり、目で見て釣合うことがわかる。

黄金比に人が魅了されるように、自然が生み出すカタチは完璧だ。

そして、エネルギーバランスが効率的であり強度は高いだろう。

自然の真似事ではなく、自然を生かすとはこのことだと思った。


私が建築に求めるのは、コスト、時間、意匠、よりも有機的な構造である。

言い換えれば心理効果ともいえるであろう。

無意識に感情が芽生える"空間"であること。

(空間:室内以外のパーソナルスペース等も含む)


建築という言葉自体、人間の手が関与している行為になるのだが、自然にはできない人間が持つ"創造"をしようと思う。

建築は環境そのものであり、人の潜在意識に大きく影響するものであろう。

その潜在意識がさらに未来を創造していくことを考えれば、建築は重要な行為であると感じる。


建築をする者は、芸術家であり、物理学者、科学者、哲学者、心理学者、などあらゆる分野を兼ね備える。

全ては自然を表す学問だ。


だが、現在の建築は自然に対抗したものである。

私たちは建築の定義によって固定概念を植えつけられた。

「土地に定着」

縛り付け、異物を埋め込み、閉じ込め、それを舗装や基礎としている。

土地はどれだけ柔軟か、自然災害を見れば分かる。バランスをとっているにすぎない。

木材もそう。育つ環境が違うから全てに癖がある。しかし、合板、集成材、LVL、CLTと規格化され統一されてしまった。無機質さはこういうところだと思う。

本物の素材に触れられない私たちは心から安らぐことはできるのか。。。

人間としての感度は鈍る一方であろう。

ロボット、AIと同じになるようなものだ。

実際に人々はもうすでに本物の無垢の木を見分けられなくなっている。


建築は建てることだけを学んだ者より、自然をよく知る者が創造した方が良い行為だと私は思った。かつての宮大工のように。


学生の頃もこのことは考えていたが、建築業の現状を知らないため、特に気にはしていなかった。

だが、社会人になり、建築は何によって動かされているか目の当たりにし、より強まった。


私の考えは法律、経済的に無理だと言われるのは承知の上、利益を土返しして言っていることである。

創造できる人間に生まれ、利益を追求して生きることは無価値であると感じる。


私の職業上、現代建築の良さを見せつけられるが、自分が信じる方向に進もうと思う。

故に、意見はとことん合わないだろう。

しかし、私は、現代建築に納得した事がない為から建築をやっているに等しい。

否が応でも、私の"直感"がこの道を先導している。