
と言うことが起こった。
今世のテーマの一つとも言うべき課題。
いままで、色々なこだわりを手放し、ジャッジをなくし、本来のピカピカ

さらに、ぴーちゃんの波動調整やアバンダンティア・アバンダンスレィを伝授を受け、観念がずいぶん変わった。
で、なぜ再び?
同じトラウマの構図だった。
これは何を意味するの?
何に気づけばいいの?
帰り道、木々に問いかけた。空に問いかけた。
数日前、実家近くのポプラの並木は、朝日を浴びてキラキラと祝福を与えてくれた。
それでも今、クリアにできていないトラウマが浮上してきている。
空、太陽、雲
遠くの木々、垣根の朝顔・・・道端の草むら・・・
青々とした田んぼ・・・
アマテラスオホミカミ
見渡してていた瞬間、受信した。
「在ればいい」と・・・
そっか~

在るということ。ただただ在るというこ。
私は、ただただ在ればいい。
思考を介入せず、起こり来る事象も来るがまま、在ればいい。
木々や花ばなが嵐を恐れるであろうか。日照りを恐れるであろうか。
全てを受け入れる。
そして、光や雨、風、暖かさ、全ての豊かさを受け取っている。
揺るぎない豊かさ。
植物は一度足りとも、受け取る豊かさを疑ったことがあるだろうか。
太陽の存在を疑わないのと同じように、信じきる。
当たり前すぎて意識にも浮上しない。
信じきって、ただただ在れば良かった。
それに気づいた数時間後、問題は解決していた。