“魔術”と聞くとき、オカルトという恐いイメージがありますよね・・・^^;
私も占いをしているという話をするときに、タロットカードは死や悪魔といったカードがあるせいか、恐いとか危険だと誤解されている方を・・・よく見受けます。
もちろん、カードによって昔ながらの絵柄によるイメージもあり、仕方のないことだと思っていますが・・・やはり先入観や恐怖感はなかなか拭えるものではありません。
何事も“理解できないもの”は恐くても仕方のないことですから^^;
けれど例えば、死のカードは<終わりであり、始まりを意味する>だけで、死そのものを意味するのではありません。
こんな風に知ってみれば、意外と平気だったりすることも多いわけです。
同じように“魔術”も先入観や誤解が多い分野だと思います。
私はやっと今年に入って・・・魔術書を読む機会にめぐり合えました。
それまでは、難しい学問として認識はしていたものの、必要性は感じられなかったし、
少し前までは占いだけで十分とさえ思っていたのです。
そんな私ですが、魔女として本格的に勉強したいと思って、教科書にしようと考えたのは・・・スピリチュアル系の本ではなく、脈々と受け継がれる“魔術書”だったのです。
魔術には黒魔術と白魔術があるということを何とな~く聞いたことはないでしょうか?
白魔術は良いもので、黒魔術は悪いものというイメージも実は間違いです。
この両者の違いは・・・“対処するアプローチ”が異なるというだけなのです。
逆にいえば、“〇〇が良いものであり、××が悪いものである”という考え方自体、
実は、私たち個人の主観やイメージであって、結局はどちらも同じように利点やリスクが存在したり、それぞれの得意分野が違うだけではないでしょうか。
幸せになりたいが・・・今の彼とはどうしてもつり合わず、別れないとならない。
そのような場合を例えて、両者に当てはめると、
恋愛に由縁がある神社に行くのが“白魔術”であり、縁切りの神社に行くが“黒魔術”といえるのでしょう。
何か願いを叶えたいと思って、天使に頼むのが“白魔術”なら、悪魔や土着の神々に頼むのが“黒魔術”でしょう。
どちらの例でも、本人の目的は同じなんですね。
魔術はそのものの術式も確かに大事なのですが、一番大事なのは本人の目的なんです。
もし白魔術であろうが、本人が使用する目的が自己中心的で他者を思いやらない・歪んでいる感情で行っているならば、必ずその波動は本人に還ってきます。
これがいわば呪いというものにあたります。
おまじないは“呪い(まじない)”にも、“呪い(のろい)”にもなります。
昔から世の中には呪術師なるものもいますが、おそらく・・・この呪い自体も、本当に呪い(のろい)として使用されてきた過去ばかりではなかったはずです。
逆にいえば、良い呪術師もいれば悪い呪術師もいる。
良い魔女や魔術師もいれば、悪い魔女や魔術師もいる・・・これが答えだと私は思っています。
・・・陰陽師でさえ、黒い歴史を持っているのです。
陰陽師の術は霊に名を与え、縛りつけることで操るというものですから、ある意味、強い霊を自分のものとするために、様々な霊的存在に非道な行いをしてきたともいえるのでしょう。
もちろん全ての陰陽師がそうであるというお話ではありませんが・・・
他の陰陽師に術を壊されたとき、術(式神)が自分のもとへ返ってきてしまうというのは、主となった陰陽師を殺すためであるといわれています。
つまり霊達も自分の身を自由にするために、術者を殺すしかなくなってしまうわけです。
でも、もし少しでも、彼ら(式神)側の気持ちがあれば・・・それが憎しみの対象でなければ、
主側が・・“式神を使役すること=己の力そのものである”という傲慢な解釈しなければ・・・。
いくら術をはずしたからといって、主を殺すまでに至ったのか?というのは疑問な点だと思うのです。
今はスピリチュアルという言葉でより親しみやすく、自分達は近づきやすい存在であるということをアピールするような形で、ヒーラーや占い師・・・色々な名称が増えました。
でも、どんな職種を名乗ろうが、どんな人だろうが、
個々の誠実さや目的・・・そして生き方が問われるのは変わりありません。
リーディング(占い)でも、解釈した人の考え方や概念や生き様がそこにあらわれるものです。
魔術も同じように、その人がより幸せになりたい(どう幸せになりたいか?)・こうしたい(どう生きたいのか?)という気持ちが現れるものです。
たとえ精神的な世界であっても、自分の行ったことには責任があります。
目に見えない世界だからこそ、知っている人しか触れられないものだからこそ、
より高度な技術と知識が要求されるのが、本来のスピリチュアル(精神世界)なのです。
残念ながら、魔術は安易な気持ちで行うものではありません。
(軽々しい気持ちでという事です。楽しい気持ちで行うのはとても良い事だと思いますよ。)
ある意味、ヒーリングやカードリーディング、瞑想も同様なのかもしれません。
魔術の本来の目的は、“自分と向き合うこと”であり“自分を知ること”であり、“他者とどう向き合うか”であり、“自分がどう生きたいか”を突き詰めるための学問のようなものです。
そう考えると・・・魔術を通して伝えたい事というのは、実は、<生きること>だったといえるのです。
精神的な世界を学びながら、生きることを学ぶなんておかしなことだと思うかもしれませんが、
自分と向き合う事やある意味、死の世界を知ることも、
結局、突き詰めると、本当の意味で命を知る(尊ぶ)ことになるのかな・・・と思います。
魔術書も視点を変えると、
私たちが精一杯生きようとするように、魔術師たちもその時代を精一杯生きようとしていた背景が見えると思います。
長々と話しましたが・・・
☆魔術における黒も白もそれぞれ流派の違いようなものであって、あくまで黒(悪い)白(良い)は自分の目的(意思)によって決まる。
☆魔術師・魔女というしかなかった時代だったが、今はスピリチュアルという言葉に変わっただけで、今も昔もさほど変わらない。
精神的な世界では特に・・・個人の能力よりも、考え方や生き様が問われる。
☆魔術師・魔女・ヒーラー・スピリチュアルリストなど様々な言い方があるが、根本的に違いはなく、どれも自分と向き合う事が要求される。
ある意味、それぞれ属するチームと仲間が違うだけである。
例えると、魔女というグループ・魔術師というグループ・ヒーラーというグループである。
こんな感じでまとめて、今回は終わりにしたいと思います。
お疲れ様でしたm(_ _)m