「誰も君のことなんか見てない。」という優しさ | 斜め上から目線

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(旧 迷探偵タケナンの「真実はいつもひとつ」)


こちらのブログエントリーより。

誰も君のことなんか見てない。

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アイデアを出すのが恥ずかしいとか、自分のデザインを見せるのが恥ずかしいとか、
自分の夢を語ることが億劫だとか、何かにつけて自分という存在の見られ方を
強く意識してる子が多い。


だから、僕は最初にこういう「誰も君のことなんか見てない。」

君が失敗しようが、へまをここうが、チャックが開いていようが、
誰も君のことなんか見てないし、覚えてない。

自分の言葉や表現を素直に出すことは別に怖く何かない。
どうせ失敗しても忘れられるし、そもそも見てないから。
 

これだけの人がいて、あなたのことに関して注目してます!
なんて言う人は、いるわけがない。

誰もあなたに期待してない、誰もあなたを見ていない。
冷たい言葉だと思うなかれ、これが真実だと僕は思う。

ただ、それを受け入れて素直に生きた人の方が純度の高い魅力的な人だと僕は思う。
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この言葉は、社会に出て痛烈に感じた(悩んだ)事象の一つでした。

自ら学生時代に経営っぽいことをやっていたことが

より一層、この気持ちを払しょくする足かせになったように思います。


特に、失敗したらどうしよう、とか。

こんなこと、もし出来なかったらダサくないかな、とか。

アポ電かけて、断られたら、人格を否定されたような気がする、とか。


頭では、そんなこと気にする方がださい、と思っていましたが

身体が拒否する。


この場では、もしかしたら

自分はこんな事が出来ます、とか、イケてる自分をさらけ出したほうが

いいのかもしれないですが、正直に言います。


億劫だった。

失敗するのが怖かった。



いや、

現在進行形かもしれません。
多少なりとその気持ちは晴れましたが  。


それでも、前に進むしかないし、

出来る限りのことをやっていきたいと思います。


うちの会社の人たちは、特に新卒で入る子たちは、

きらりと光る学生経験を積んだ子が多く、

出来る子が多いと思います。

だからこそ、失敗したらださい、怖い、みたいな気持ちが

生まれるように思います。


逆に、そういったことを気にせずにガツガツ進める子は

軒並み良いスタートダッシュが切れていると思います。
※僕は良いスタートダッシュとは言えませんでした。



だから、僕も、若いメンバーには、同様に


「誰も君のことなんか見てない。」


そう言おうと思いました。