先日来、内田樹先生の著書「街場の教育論」を読み返しています。
その中で国語教育に触れている箇所がありました。
子どもたちの置かれた言語状況には「思いがあまって言葉が足りない」、「言葉があまって思いが足りない」という二つの状況が考えられます。
言いたいことはあるけれどそれを表す言葉を持たない、というのが「思いがあまって言葉が足りない」状態。
言葉は知っているけれどもそれが表す意味内容をよく知らない、というのが「言葉があまって思いが足りない」状態。
現行の国語教育はこの二つの言語状況の内で前者を採用し、
その結果、書けない、話せない子ども達に対して、「思っていることをそのまま言葉にしなさい」という教育を行う。
しかしそれは違うのではないか、と内田先生は疑義を呈します。
以下引用させて頂きます。
“私たちはまず言葉を覚えます。意味がよく分からない、何を指すのか分からない。それでいいんです。
言葉を裏打ちする身体実感がないというその欠落感をずっと維持出来ているからこそ、
ある日その「容れ物」にジャストフィットする「中身」に出会うことができる。
文字と読み方だけ知っていて、意味が分からない言葉というのは、磁石が鉄粉を引き付けるように、「その空虚を充填する意味」を引き寄せます。
欠落感を感じているからこそ、その欠落を埋める方向に感覚が深化してゆく。
(中略)
だから、まず言葉のストックが必要になる。
まず言葉のストックをどんどん増やしてゆく。
その「私の実感によって充填されていない空語」が「私の実感」を富裕化させる。”
「思い」というものが「言葉」に先立つ形で存在するのではなく、まず言葉を豊かにすることで、それを表す意味内容がその空っぽの言葉に引き寄せられる。
そのような順序で子ども達の思いや情感が豊かになっていく、内田先生はそう主張します。
論考の中ではその例えとして一首の和歌が引かれています。
“ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ”
という古歌がありますが、とりあえずそれを暗唱し覚えてみる。
そのとき「光のどけき」や「静心」などの言葉が何を意味するかなど分からなくてもいい。
それから数年の後、穏やかな春の日にはらはらと桜の花が風に散りゆく様を見ているとき、
フッと作者の紀友則が歌に託した思いが身体実感を伴って理解できる。
このように意味の分からない空っぽの言葉に思いが引き寄せられる、
そういう順序で子ども達の情感が豊かになっていくということです。
私は個人的体験とともにこの考えに共感します。
美空ひばりさんの歌に愛燦燦という有名な一曲があります。
私はこの曲が大好きなのですが、一つだけずっと解せないことがありました。
それは「ああ、過去たちは優しくまつ毛に憩う」という歌詞です。
「過去がまつ毛に憩うとは一体何だ?」
ずっと私はそんな風に感じていたのですが、
つい数ヶ月前、仕事の合間にどこかの公園で頭を休めるためにしばし放心していたのこと、
「そういえばあの人元気かなぁ。」
「あの人には不義理なことをしてしまったなぁ。」
「あの人には本当に良くしてもらったなぁ。」
などと考えるともなく考えていたその時に、「あ!」と私は気がついたのです。
過去がまつ毛に憩うとはまさにこのような状況ではないか、と。
これはまさに意味の分からない空っぽの言葉に情感が充填された瞬間でした。
そんな個人的体験からも私は、言葉の富裕化が内面の富裕化をもたらすというこの論考を支持します。
今までの話をまとめます。
まず意味が十分に分からずとも言葉を知ること、
その言葉の空虚を埋めるように意味や情感が引き寄せられる
そういう順序で子どもたちの内面は豊かになっていく。
そうであるならば、子どもたちにとって理想的言語状況とはどのようなものか?
再度内田先生の言葉を引用します。
“子どもの言語状況は「言葉があまって思いが足りない」というかたちで構造化されるべきでしょう。
それゆえ、美しく、響きがよく、ロジカルな「他者の言葉」に集中豪雨的にさらされるという経験が国語教育の中心であるべきである。”
私は子どもたちに作文や国語の論述問題に関しても教えていますが、度々「何を書いていいか分からない」という旨の訴えを耳にします。
これは今回ご紹介した論考に引き付けて言うならば、思いの欠如ではなく言葉の欠如が招いていることです。
なぜなら言葉が思いに先立つからです。
言葉を豊かにする一番良い方法は、もちろん本を読むことです。
以前にも書いたことですが、本をたくさん読む子は、そうでない子に比べて、大脳左半球の神経細胞密度が高く、
認知機能も学力も高い傾向にあることが分かっています。
それは余談ですが、本を読むことでたくさんの言葉をストックし、情感豊かな大人になってほしいと私は願います。
そういう人間は他者の抱える痛みや喜びにシンクロできるはずなので、そんな大人が増えれば今よりももっと温かな手触りの社会になるはずです。
そんな思いからも私は子どもたちが豊かな読書経験を持てますように、と望みます。
ぜひご家庭でお子さんにたくさんの本を読ませてあげてください。