長年不登校や引きこもりの子どもたちと関わっている臨床心理学者の高垣忠一郎先生の著書を読んでいた時のこと。
今の子どもたちは、苦しいことや悩み事があっても親や友人、学校の先生には話さないのだ、という一文がありました。
では誰に話すのか。
苦しい思いはペットに話すのだそうです。
じゃあペットのいない子は誰に話すのでしょうか、、、?
きっとだれにも話せず一人で抱え込んでいるのでしょう。
この話を読んだ時、私は悲しさと申し訳なさを感じました。
私たち大人は子どもが楽しそうに、嬉しそうにしている時、「楽しいねぇ」「嬉しいねぇ」とその感情に共感してあげられますが、
子どもが「悲しい」とか「寂しい」とか「怖い」という感情を抱えている時はどうでしょうか?
つい、「いつまでも泣かない!」とか「大したことない、大丈夫大丈夫!」とか、
共感ではなく受け流すという形で対処してしまいがちではないでしょうか?
その結果が「辛いことはペットに話す」になってしまっているのかも知れません。
私たちは、目に見えない、手で触れない、五感では認識出来ない「感情」を如何にして認識するようになるのでしょうか?
それは周囲の大人から自分に到来した身体感覚を名づけてもらうことによって、です。
例えば、滑り台を上手に滑れてニコニコ笑っている子どものそばで、
お母さんが「嬉しいねぇ」とその身体感覚を名指してあげることで、子どもは嬉しいという感情を認識するようになるのです。
このプロセスを「感情の社会化」と呼びます。
それでは子どもが悲しくて泣いているとき、周囲の大人が負の感情に共感する辛さから、その状態を受け流してしまったらどうなるでしょう?
子どもは「悲しい」という感覚をいつまでも上手く認識出来ず、その感情にどう対処すればいいか分からないまま成長してしまいます。
そして処理できないままの感情はその子の中に蓄積し、
例えばちょっとしたことで誰かに暴力を振うとか、陰で誰かを虐めたりとか、自分で自分の身体を傷つけるとか、
不適切な形で発散されるようになってしまいます。
そんな状態にならないためには、「嬉しい」「楽しい」などの感情と同様に、
周りの大人が「悲しい」「寂しい」「怖い」などの感情に寄り添い、名指し、対処の仕方を教えてあげることが大切なのです。
つまり負の感情についても、大人が逃げずに社会化してあげる必要があるのです。
そうすることで子どもは悲しみや恐怖などの感情を認識し、徐々に自分で対処できるようになっていきます。
「感情に寄り添う」というのはそれほど難しいことではありません。
「怒り」や「悲しみ」を抱えている子どもの傍らで「怒っているんだね」「悲しかったね」と感情を言語化してあげれば良いのです。
ここで日本の子どもたちに関わる社会指標を見てみたいと思います。
例えば、2015年に国立青少年教育振興機構が行なった高校生の生活と意識に関する調査によると、
「自分はダメな人間だと思うことがあるか」の問いに「とてもそう思う」「まあそう思う」と答えた日本の高校生は、72.5%に登りました。
同様の質問に対する答えは、中国で56.4%、アメリカで45.1%、韓国で35.2%、
日本が突出して高いことが分かります。
また、ユニセフが発表している子どもの幸福度ランキング(2020版)によると、
日本の子どもの身体的健康は38カ国中第1位ですが、精神的幸福度は38カ国中37位という極端に低い結果となっています。
そして厚生労働省の自殺対策白書(平成30年版)によると、日本の10代後半〜30代の若年層の死因第一位は自殺で、
WHOの調査によれば若年層の死因第1位が自殺なのは、先進7カ国中で日本だけです。
このように、日本の子どもに関する社会指標は今危機的状況にあります。
これは私たち大人が、子どもたちの「悲しい」「寂しい」に寄り添うことなく受け流してきた結果なのかも知れません。
強い人間とは、負の感情を感じない人間ではありません。
それは強さではなくただの強がり、いずれ限界を迎え破綻します。
強い人間とは、レジリエンスの高い人間、困難な状況からリカバリーする能力の高い人間です。
先程からの話で言えば、「怖い」「悲しい」「寂しい」などの感情に適切に対処できる人間です。
子どもたちが感情的な危機に陥ってもそこから回復できる強い人間に育つために、私たち大人が出来ること、
それは「寂しい」「悲しい」「怖い」という感情を抱えて苦しむ子どもたちを受け流すのではなく、共感し寄り添ってあげることだと私は考えます。
悲しみ、寂しさ、恐怖。
お子さんがこれらの感情を抱えて苦しんでいる時、どうぞ側でその感情に寄り添ってあげて下さい。
それがやがてお子さんの生き抜く強さになっていきます。