日本の難点 宮台真司 著
社会学者の宮台真司先生が、様々な社会現象の解析から日本という国の問題点を炙り出した一冊です。
正直に言うと私には前提知識が不足し過ぎて5割くらいしか理解が出来ませんでした。
政治、経済、歴史、哲学、宗教方面に関する自分の無知を痛烈に感じました。
私に理解できた範囲で、宮台先生の挙げた問題点をご紹介するならば、それは「社会の包摂性の喪失」ということです。
今、「社会」という言葉を使いましたが、日本にはもともと顔見知り同士の世界である「世間」は存在するけれども、
顔を知らない相手であっても同じ日本人なのだから助け合う世界−社会−というものが存在していたかどうかは甚だ怪しいところです。
このもともと存在感が希薄であった「社会」というものが、行政や市場というシステムに代替されることによって、
そこに暮らす人々を包み込む力、つまり包摂性を失っている、というのが日本の難点である、というのが宮台先生の主張です。
本書の中で孤独死が多いのは、企業城下町である、との記述がありました。
そこでは地域社会に根ざした人間関係が希薄なため、会社を解雇されて金が無くなると全く寄る辺がなくなり、自死に至ってしまう訳です。
また秋葉原の通り魔事件についても言及されていました。
あの事件を起こした青年は、ネットに自分は独りで誰も気に留めてくれない、という旨の書込みを何度も何度も書いていました。
あの青年の行いを正当化するつもりは全くありませんが、誰かが話を聞いてあげていたら、つまり彼の周りに社会または世間が存在していたら、あのような事件は起きなかったかもしれません。
私たちは、行政や市場というシステムに過剰に依存し過ぎたために、自分たちで自分たちの社会に起きた問題を解決する能力をどんどん失ってしまったのだ、ということを感じました。
古典落語などを聞いていると、江戸の街には世間があったことがよく分かります。
長屋のご隠居が物分かりの悪い熊さんを諭したり、夫婦喧嘩を解決したり、大きなシステムに頼らずとも自分たちのゴタゴタを自分たちで解決する力がそこにはあったのだと思います。
どうやってそのような包摂性を回復するか、私にはまだ明確なアイディアがありません。
ただ、私たちはこの「包摂性」というものを失いつつある、ということに気づけました。
概念のように目に見えないもの、手で触れられないものは、無くなってしまってもそれが無くなったことにさえ気づけないものです。
この本を読んで私たちが何を失いつつあるのか、それに気づけたことが一番の収穫でした。
しかし宮台真司先生の本は難しい。
まだまだ勉強せねば。