前回のブログでは、学ぶために情報が必要ですが、誰でも気軽に情報発信者となれる時代だからこそ、それが玉石混交状態であるという前提で接する必要がある、と綴りました。
特に困難の中にあり、気持ちが塞いで弱っているときほど、抱え込んだ不安感や寂しさ故に、怪しいものに引き付けられて、だまされやすくなってしまうものです。
玉石混交の情報が溢れかえる世の中で、溺れることなく生きていくために必要なことはなんでしょうか?
私が初めて筑紫哲也さんを知ったのは、高校一年生の夜ニュース23を見たときでした。
自分なりの信念のようなものを持ち、でもそれ固執するわけでもなく、違うと思ったことにははっきりと異を唱える姿をかっこいいなぁと思いました。
その筑紫哲也さんの著書「若き友人たちへ 筑紫哲也ラストメッセージ」の中に情報社会で生き抜くヒントがあったので、ご紹介したいと思います。
筑紫さんはInformation、knowledge、Wisdomという三つの言葉を用いて情報社会での身の処し方を紹介されています。
情報化社会で私たちが日々触れているものは、Information、情報です。
例えば、明日は雨が降るでしょうとか。
例えば、○○さんが亡くなった、□□さんと××さんが結婚したとか。
例えば、どこどこで戦争が起きたとか。
しかし、前回のブログで書いたようにこのInformation自体、真贋入り混じっていることが多いものです。
その真偽を確かめるために必要なものが、Knowledge、知識です。
例えば、江戸幕府を開いたのは徳川家康で体制は265年続いたとか、二次方程式の解は二次曲線と座標軸の交点の座標であるとか、
権力の暴走を防ぐために、司法、行政、立法の三権が分立しているとか、温帯低気圧は二つの前線を伴い寒冷前線通過後に気温がぐっと下がるとか。
このような知識がしっかりと根付いていることで、日々押し寄せてくる情報の真贋を判断し右往左往することなく生きていくことができるようになるのです。
そしてその蓄積された知識が様々な作用によって、自分自身で判断していく力Wisdom、知恵に転嫁していくのです。
この判断するための力、Wisdomは一足飛びに手にできるものではありません。
様々な作用によってもたらされるものです。その様々に関してはまた次のブログで考えてみたいと思います。
情報にあふれかえる世の中で、翻弄されず生きるためにまず私たちに必要なことは、Knowledge、知識です。
そしてそれは大人だけでなく、子どもにとっても同じです。
溢れかえる情報の中で溺れることなく生きていくためには、一度その情報量を減らし、しっかりとした知識の地図を自分の中に構築する時間が必要なのです。
無知のまま溢れかえる情報の中に身を置いていれば、それに翻弄されてしまうことは必至です。
子どもたちと学んでいると「こんなこと勉強してなんか意味あるの?」という問いを投げかけられることがありますが、
その答えの一つが、情報の真贋を判断するときに必要な知識を得るためです。
続きます。