世間は中途半端に壊れている | 不登校に悩む親御さんへ 家庭教師の大丈夫!@新潟のブログです。

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生活に根ざし日々の暮らしに強い影響力を持つ宗教が存在する国の人々と、そういうものを持たない日本人とでは、自分という存在の支え方が違うのではないか。

日本人にとって宗教に取って代わるもの、それは世間の評価、その中で与えられる役割や立場なのではないか。

そんなことを書いてきました。

さて、今回は日本人の思考、行動に強い影響力を与える「世間」について考えてみようと思います。


=世間は中途半端に壊れている=

「世間は中途半端に壊れている」

鴻上尚史さんの著書「孤独と不安のレッスン」を読んだ時、私はこの言葉に出会いました。

世間という言葉を聞いてどんなものを想像されますか?

私が想像する世間。

家族、地域、会社。この三つでしょうか。

地域。

私が子どもだった頃、今から二十~三十年前の話ですが、近所の人に不在時の宅配便の受け取りをしてもらったり、

作りすぎたおかずをおすそ分けしあったり、旅のお土産を贈り合ったり。

そうした地域のつながりというものが、良し悪しは別として、今より色濃くありました。

それが現代では、隣家の家族構成、勤務先など分からないことだらけ、そんな人も珍しくないのではないでしょうか?

また高齢化が進み、その地域共同体の存続すら怪しい、という場合もあるかと思います。

家族。

かつては祖父母、父母、その子ども、三世帯同居などというご家庭も珍しくなかった、そんな時代がこの国にもありました。

翻って現代。

総務省の国政調査結果によれば、単身世帯が全体の三割強を占め、一人から三人世帯の割合が年々増加する一方、四人以上の世帯の割合が年々減少してるという傾向が見て取れます。

会社はどうでしょうか。

かつての日本には、入った会社に生涯勤め続け、年齢を重ねると自動的に給与も上がる、終身雇用年功序列制度が存在し、雇用の安定と右肩上がりの収入が保証されていました。

しかし今、生涯一つの会社で勤め上げるという人も少数派になり、正規雇用に就くことさえままならぬ人が増加し、非正規雇用の割合は働く人の約四割を占めるまでに拡大しました。

地域、家族、会社。

世間というものに重きを置く日本人は、これらの世間の中で役割を演じることで、自分というこの不確かな存在に、確かさを見出し、自身の存在を支えて生きてきました。

しかし現代は、その役割を演じるべき舞台装置ともいえる「世間」というものが、鴻上さんの表現をお借りすれば「中途半端に壊れている」時代。

そしてその「中途半端に壊れた世間」でどのように役割を演じるべきか分からなくなり生きづらさを抱える人が増えている、そんな時代なのかも知れません。

次回に続きます。