2回目の座談会では、「信仰」との向き合い方について深く語り合いました。
信じること自体を否定したいわけではない。でも、「信じなければならない」ことが、心を追い詰めていた──。
そんな揺れる思いが集まった回でした。

 

Cさん(20代・女性):
「“日曜は礼拝、絶対”って育ったけど、本当は学校の部活にも行きたかった。やりたいことが罪みたいに言われて、ずっと心のどこかで自分を責めてた。」

Dさん(30代・男性):
「“あなたが信じないと家族が呪われる”って言われたことがある。本気で怖かったし、だから祈ったけど…神様を好きになったわけじゃない。ただ怖かった。」

進行役:
「信仰の中身よりも、“恐怖”が中心になってしまった体験って、本当に多いんですね…。そういう話ができる場自体が、まず少ない気がします。」

 

信じたい気持ちと、信じなければならなかった痛み。その間で揺れた時間を持っていた人たちの声が、少しずつ形を持って語られはじめています。