1ヨハネ4章(新改訳聖書 1965年度版より)
解説:
よく、「神は愛なり」、というスローガンを聞きます。そこだけ聞くと、「神は愛なので、どんなことにも、何でも、OKと言ってくれる。善悪の区別がない神で、人間がイメージしてる神」、というふうにも聞こえてしまいます。
ある人は、神は無茶苦茶な神だと思うかもしれません。ある人は神は何でも許す、やさしいニコニコしたおばさんのような神でしかありません。どちらにしても、人間の想像です。
この短い文だけだと、「神」「愛」という定義が、人間にかかっているからです。人間が主語になっています。言い換えれば、「私がイメージする神は、私が愛だと思ってる愛です。」
この短い文では、「私の想像した神」と言っても、あまり違いはありません。自分が主語です。「うちの猫は愛なり」と言っても、「私は愛なり」と言っても、あまり大して変わりなく聞こえてしまいます。とても危ないです。
自分の想像する神、神イメージです。でも、神はイメージではありません。私達の想像する神ではありません。
神は実体があり、証拠があり、この方ほど証明されてきた神は歴史上他にいないのです。
聖書の中はもちろん、歴史の中で、あなたの生活や人生の中で、見たり聞いたり、お会い出来る方なのです。イスラエルの預言について、皆さんもご覧になったと思います。(なんの事?※執筆中)
この短いフレーズの問題は、「神」に対する説明が足りず、「愛」に対する説明もないところにあります。
ここだけ出すと、聖書の文脈からは外れてしまっています。
聖書以外の神の説明にはなるかもしれませんが、聖書の神とは関係がなくなっています。
でも人間は不安定で不完全なので、人間の定義する愛は、人間によって限られたものでしかありません。人間の思いつく愛と、神の愛とは、違うのです。
神のことばである聖書には、何と書かれているのでしょうか?
「神は愛なり」と書いてあるその直前に、「私たちに対する神の愛を信じています。」と書いてあります。
次に「神は愛」と書かれ、最後は「愛のうちにいる人は神のうちにいて、神もその人のうちにいます」と書いてあります。
まず、私たちに対する神の愛を信じている人が、神は愛だと言えるのです。
そして、愛の中にいる人は、神の中にいることがわかり、神もその人の中にいるのです。
文脈から見たら、そうです。
「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(8節)
とも書かれているので、愛の無い人には、神はわからないのです。
文脈で見れば、とてもわかります。
では、愛とはなんでしょうか。結婚式などでよく読まれるコリント13章を見てみます。美しく、しかも的確に、愛について私たちに教えてくれています。
でも1つ注意点があります。7節の部分です。
「すべてを我慢し、すべてを信じ・・・・」の部分は本当は”すべて”ではなくて、原語では、「どんな状況でも我慢し、どんな状況でも信じ、どんな状況でも期待し、どんな状況でも耐え忍びます」と書かれています。
「すべて信じ」に比べたら、「どんな状況でも信じ」や「いつも信じ」と書くほうがまだ、本当の意味に近いです。
もし、「すべてを信じ」、と書いてしまうと、聖書の神の言っていることに、完全に反してしまっています。
聖書の神は、ご自分だけを信じるように、命じておられます。
新改訳聖書は、日本語訳で書かれた聖書の中でも、最も素晴らしい聖書の1つなのですが、それでも、どの聖書にも、翻訳上の欠点があるからです。
新約聖書は、もともと、ギリシャ語で書かれ、全世界の言葉に翻訳されたのです。でも、日本語に翻訳される過程で、残念な書き方もたまにあるのです。
でもそこも含めて、調べてみてください。聖書を学ぶ事は、とてつもない祝福があります。
おかしいな???と思ったら、その疑問を大事にして、向き合ってください。
そうすれば、必ず神は答えてくださいます。
とにかく、その13章がこちらです。
第13章
聖書は、文脈を無視して読むと、危険です。
また、短く取り出すのも、間違いを起こすことがあります。
だから、聖書には、たった一言一句でも、変えては(消してもいけないし、付け加えても)いけないと書かれています。
「。」「、」という一番小さい句読点さえ、変えてはいけないと書かれています。(黙示録22章18節-19節)
聖書は勉強するのではなくて、調べて、義の訓練のために有益だと書いてあります。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(2テモテ3:16)
私たちと神様との交流の中で、神があなたを導いて、祝福してくださるように、お祈りします。
アーメン。
4:1愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。 4:2人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。 4:3イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。 4:4子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。 4:5彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。 4:6私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。
4:7愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 4:8愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。 4:9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 4:10私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 4:11愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 4:12いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。4:13神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 4:14私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 4:15だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 4:16私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。 4:17このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。 4:18愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 4:19私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 4:20神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。4:21神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。