こんばんは🌙

今日は私の50歳の誕生日でしたハート


前置きから。


去年か一昨年か忘れちゃったけど、

一人で平日の誕生日に

大好きなカフェに行ってみたものの、

なんか寂しくて😢

家族もお友達もお祝いしてくれるけど

寂しかったのは、

私の心が寂しい方を向いていたから。


今年の誕生日は

楽しく最高に良いことが起こる♡

と意図していたら、

現状は同じなのに

気持ちがまじ軽くてhappyに✨


そしたら! 現実も変わり始めた。

小平でも気軽に話せる友達欲しい!

と願っていたら、

超気楽に付き合える新しいお友達ができたのと、

そのお友達から

「4月生まれ同士、焼肉ランチしよ」と、

軽くて楽しいことがやってきた!(Mちゃんありがとうー!笑笑)




そして、仙台の大事な友人から、

ステキなバースデープレゼントが届きました🎁

いつもありがとう🌼


最近認められたこと🌈


「これまで、相手の幸せより

自分の成果が欲しかったんだな」と

気がつけたこと。


それまでだってわかっていたのよ。

自分が成果主義だったことくらい。


でも成果追い求めて何が悪い?

普通だろ。ぐらいに思っていた。


が、

それは

自他共を苦しめ、

幸せから遠ざかる要因だとも気が付いた。


だったら、何でも良いのか?

頑張る時に頑張らなくて良いのか?

というのはあるけど、


そういうんでもなく‥


頑張るのは普通なのだけど!


そこの目的地が

「相手の幸せを願う」


成果じゃなく。


これはビジネスでも対話でも、

全てにおいてそう。


成果は後から

付いてくる時もあるし、

出ないこともある


でも、それはそれで「ああ(今は)そうなんだ」と受け容れる。それだけニコニコ


成果主義だと、

なんか、冷たーい感じがする。


自分でもそれはわかっていたけど、

やめられなかった。

だって、やっぱり成果や結果って、

大事だったから。


でもね、

成果や結果が出たときだけ、

良い自分。良い人。優秀。


みたいな見方を、

もう卒業したいなって、思ったの。



我が家で異様にヒカマニや猫ミームが

流行っているw


なんかもっと。

楽しい感じ♡


暖かい感じ。


そういうのを、追求したいなっておもう。





昨日今日と、めっちゃ忙しいのに

体調悪くて昇天


でも夫が私の誕生日🎂に

めっちゃお店探してくれてて、

予約してくれてた。


ホテルのブッフェで

色々頂いてきました♡



いちごのムース🍓

超美味しかった♡


昨日、頭痛がしてて、

あまりの肩こりに


リラクゼーション受けたら?と

夫から提案があって

私もリラクゼーションを久しぶりに

受けて来ました飛び出すハート


やっぱり気持ちいいねー!

(今更笑笑よだれ笑


昨日受けたセラピストさん、

男性で

めっちゃ上手でした✨

圧も好みの強めにしてくれた。


また受けたいです。笑


そんなのもさ、

色々用事があるなかで、


夫がくれた優しさだったんですよ。

成果とか、まず置いておいて。

他にいくらでもやること溜まってたのに、

まずはリラクゼーション受けて来たら?って。


こういうのが、

生きていてホント、

味わいたいと願う、優しさ

暖かさなんじゃないかって。


思ったのだ。


リラクゼーション受けて来てから、

大量に用事があったけど、


バッドコンディションの中、

何とか出来たのも、


その優しさがあったからスター



そして今日も、
朝から息子のお弁当作りに
都心まで、私か夫が
連れて行かねばならなかったのを、
娘が同行してくれることになって。

私は送らなくて済むことになったから。
その分少しだけ、休めたのー拍手

もうホント、有り難かった。

いつも「ちゃんとやらなきゃ」
「あれしなきゃ、これしなきゃ」で
生きてきたから、

それを人にまで求めていたけど、

自分も、めっちゃ不調の時もあるし、

めっちゃできないことも
この歳になっても色々ある。

そんな自分も他者も、

それでもイイ。

‥ってなったら、

沢山の優しさが舞い込んできた!

それは、はじめからあったヤツだけどねー

私が気が付かなかったか、

気が付かないように、
あえて人の優しさを見ないようにして来た。


人の優しさに触れると、

相手を攻撃できなくなるから。

結構衝撃的なことを書いているけど笑

これが今、私が認められた事実。

そして真実は、
「あなたを愛したい」でした。
それは誰かれ問わずです。

誰にでも、愛を贈りたいのです。

でもそれは、
恥ずかしいしなかなか認められない気持ちでした。

だから誰かに出会うと、
すぐ、
何か否定的な視線を送ってしまう、
厳しい自分が居た。

それを認めた50歳の春でした。笑

うわーまじか。
キッツいわ。

でもこれを認めたなら。

上に書いたような、
優しい世界が広がっていましたキラキラ

たまには、
そりゃヒカキンみたいに
「許せんなぁ〜ゆるせんな〜」ってなるけど
ミームみたいに「は?」てなるけどゲラゲラ

そんな自分も大いにアリだけど笑


ベースは優しい世界。


成果主義だった自分を認めて。


優しい世界で生きていこうキラキラ


コレは、そんな現実が欲しくて

やったことでは無くて、


自然とそう、流れていきました。


そういう時期、学びの時だったのかも

知れません。



こっちの方が良いやろ!笑爆笑