お姉ちゃんが小学生の時、
いろいろあったんだよね。
一年生の時に文房具がいくつかなくなり、そのうちトイレの中に落とされているのが見つかったり
二年生の時も何かそういうのがあったな。内容は忘れてしまったけど笑
一年生の時も二年生の時も連続で、担任の先生が学校に来なくなり、急遽担任が変わったり。
(代わりに学年主任の先生が受け持ってくれて、その先生とても暖かい先生だったから結果、それで良かったのだけどね✨☺️)
あ!でも元々の担任の先生方も良い先生だったから、別にどちらでもよかったから、
なんでもええんだわ〜という話ね
それでも特に、犯人探ししたり何かや誰かを悪者にしたり問題視したり、しなかったんだよね。
下の子の世話で忙しくて、あまり娘に構えなかったのもあるけどね、
とにかく、何か起きても「へぇーそうなんだ」ぐらいで終わって行き、何かあっても無くても、学校ってそういうもんだろうな
ぐらいな感じで6年間過ごしていました。
逆に娘の粗相で保護者の方に謝りに行ったりもしたな笑
そういうことがありつつ、今、また下の子が小学校生活を送っています。
今、学校で色々あるのだけど
これまでは無かったような出来事や、
そんなんあったとしてもスルーしてたわぁ〜的な出来事が色々目に入って、感じることがあって、
浄化されていたと思っていたコトが
まだまだそうじゃ無かった事にも気がついてね😂笑
あ〜私は今、こう思っていたのだなーという自分の中での前提が、ワラワラと出てきています。
どこまで行っても、また次の愛に出逢う旅なんだなぁ〜と思います
完成形はなく、
でもこのままで既に愛の視点からすると完成形でもあり、
こう!というものが無く、
でも「こうという自分自身の前提」の元に世界は見えているんだよね。
だからこそ
愛と平和の視点で、全てを見て行けたらいいなぁと思うのであります
結局のところは、人や外の出来事を見ているようで、自分自身との対話でしか無いのです。
子供のことはつい、何かっちゅーと心配しがちなところがあるけど、
見てあげながらも、彼らの生命力を信じて見守るしか無いんだよなぁ〜と。
まだまだ私も子育て途中で
わからないことだらけですが、
今の自分の目の前に繰り広げられていることや気になることは全て、
自分の中の投影でしか無いので、
外側の「何か」を変えようとするのでなく
今の自分はこの出来事を、どうしてこう思うんだろう?
というところに焦点を当てていけば、
気がつくところが出てきます
そもそもは子供たちには平和の中で、安心して元気いっぱい暮らしてほしい
その願いが主であるはずだから、
「何かを敵味方に見立てていたい」わけでは無いと思うんだよね🥲
これは学校や子育てだけでなく
コロナや何やら全ての出来事について、そうですよ
全ての出来事は、もっと楽になるための
自分自身の観念をつまびらかにするためのきっかけですから、
その出来事そのものには優劣も問題も無いのです。
リラックスして、気を楽にいきましょう
さ、夏休み前のアロマトリートメント
初めてでもご予約お待ちしております♪