厳しめな記事が続きますが汗
ついてこられる方は是非。ついて来て頂きたい![]()
これは過去の私にも心当たりがあるのですが
パートナーや友人、家族など
あなたにとって身近な方たちは、
あなたを純粋に「愛する」が故に、そこに居てくださっています。
それはもう、あなたにとって、その彼らの表現方法が気に入ろうがそうでなかろうが、
愛するが故。です
しかしつい、これまた手段と目的がだんだんとズレていっている方にありがちなのが
周りの人々が単なる「手段」や「道具」や「経験値」にしか、なっていないという、自分自身からの愛が無くなっている状態![]()
これまじヤバい
これのせいで経験しなくてもいい「負の経験」を、結構皆あちらこちらで積んでいる気がしますよ。
例:失恋、不妊、離婚、子供の不登校など
100%「愛が無い状態だから」起きているわけでは無いけど、
ごく普通の人がそういうわざわざ苦しまなくても良い道を通ることになってしまうのが、
そこのメンタル面が大いに出ている場合があるんじゃないか。と感じております。
男性は、女性側の「子供を授かるため」の手段ではないですし、
ご子息も「親の何かを満たすため&叶えるための道具」ではありません。
友人やお仕事仲間も「あなたの願望を叶えるための通過点や、欲求不満のサンドバッグなる存在」ではありません。
皆、自分が自分として「愛」の存在として、ただただ生きる存在です。
無論「私」という自我の意識そのものも、愛の存在そのものです。
愛が愛を利用し、その存在を潰す。などもってのほかです。
愛は愛として、ただそこに存在しているだけで価値があるものです。
これは万人が、万物が皆、そういうただただ「そこに在る」という性質上のことです。
よく「ステージが変わったから人間関係が変わる」など、そういった類の話がスピリチュアルな世界や業界(?)では語られることが多いですが、
ステージってwなにそれ。
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もちろん、人間関係とは川の流れや潮の満ち引きと同じく、
そのときその時で変わっていくもの。
だけどね。
それは、「もう自分にとって利用価値が無いから、その人は去っていった」というものでは、まったくありません。
なんでか人は、ちょっとばかし「悟った風な」ことを言いたがる風潮があるのですが(仏法的には二乗といいます)
そんな「悟った風な見解」に、簡単に流されないように。
もちろん、お互いの学びのために「その関係性は、経験値として必要だった」とか、そういったこともあるでしょう。
しかしそれは、あくまで結果論に過ぎません。
繰り返しますが、
私たちは皆、全員。万物が。
「愛である存在」
です。それ以上でも以下でもない。
だからどの「位」についているから高尚だとか素晴らしいとか、それもありません。
皆が等しく平等
きれいごとではなく、事実です。
それを忘れてしまうから、つい私たちは「表面上、『持っていそう』な人や事、地位や名誉、権威など」に、恐れおののく部分もありますし、つい媚を売ったり忖度することもあるでしょう。(そのつもりはなくても、怖れからの意識でそうしてしまうこともある)
私たちは皆、愛である。
ただただ、もうそれだけです。
愛である「私」が、愛である「あなた」に、何をできるか。何を与えたいか。
本当にそれがすべてです。
貰おう精神なだけ。
何か自分の「願望(エゴ)」を叶えるための手段としての、「他者という存在」
人をそのようにみているのは、もうこれからは益々生きるのは困難になっていきますし、私たちは愛の原点に戻る必要があります。
煽りや焦りに、乗らないでください。
子供が欲しいなら、シンプルに目の前の愛する人と、愛ある暮らしを営んでください。美味しい食事を用意し、清潔な部屋を用意し、優しいことばをかける。もちろん医療に頼ることも有りです。医療は智慧でもあるのです。智慧=愛です。今の医療従事者の方々の献身的な支えによって、私たちはこうして生きながらえています。
子供の成長を願うなら、世間体での「願望」を、子供に無理矢理くっつけないであげて。
子供と生活を共にしているのに、来る日も来る日も、「もう疲れた~」と、いつもが手抜きだけだと、子供も寂しくなります。
まずは食生活。寝る時間。運動に勉強。そういうシンプルなことを、ひとつずつ整えていきましょう。
大丈夫。
あなたは愛の存在です。必ずできます。必ずやり遂げます。私はそう信じていますから![]()
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