雨は続く。
せっかくの連休も雨だ。
こんなに雨ばかりでは、畑の🍅の収穫も危ういな。🍆の成長もこれ以上は難しいので、明日にでも🍆は収穫しようと思う。

こんな休日は部屋の片付けに限る。夏服は全て押し入れにしまい、秋冬物を出した。もう着ないであろう服は売りに出そうと思う。衣替えの序でにコタツの準備もした。この時期にコタツを出した事あったかな?と記憶を巡らせるが、そんな事を巡らせても意味は無い。扇風機はもう少し出してても良いかな?と、何となく思った。

部屋は狭いくせに、洋服が多く収納に困る。役柄で購入した服などもあり、普段着ない服が結構ある。もしかしたらまた使うかも知れないと思うと処分出来ないのだ
。きっちり数えた事はないが帽子は百点ちかくあると思う。調理場で働く事が多いので、仕事帰りには汗も掻くし髪がグッチャグッチャになる。それを隠す為に帽子を常日頃から被るようになった。春夏秋冬、帽子も替わるので、帽子の衣替えもした。中には一度も被る事なく次の衣替えの時にしまう帽子もあるが、処分しようとは思わない。だからドンドン帽子は増えるばかりだ。着る洋服に合わせて被る帽子を選ぶと言うより、被る帽子に合わせて着る洋服を選んでるような気がする。秋冬は赤いニット帽が一番のお気に入りで、そのニット帽が映える洋服を選んで購入しているような気もする。

僕はどんな髪型も似合わないと思っている。強いて言うなら短髪が似合うかな?物心付いた頃から中学を卒業するまで坊主頭だったので、見慣れていると言うのもある。後頭部がペシャンコなのが、ちと切ないが・・・。耳が隠れるほど髪を伸ばした事だってあるが、全く似合わなかった。何か?クロマニヨン人みたいになる。本当は今もバリカンで丸刈りにしたいのだが、丸刈りにしていた時にまるっきり役が付かなかったので、適度に伸ばしている。とは言え、年齢と共に髪のボリューム感は無くなって来た。額も徐々に上がって来ている。しかしながら、髭も濃く胸毛もあり、男性ホルモンの強い僕からしたら、随分と髪は残っている。

それはたぶん常日頃から帽子を被って来たからではないかと考える。帽子を被る事で、紫外線から頭髪を守る事が出来ていたのだと思う。似合う髪型は無いが、帽子は結構色々似合う。しかも紫外線から頭髪を守る事も出来る。僕のそんな帽子ライフはこれからも続くだろう。

頭髪のボリューム感が無くなる事を気にしている方に、気にならない考え方が1つある。僕はこう考える。『あと数十年後には棺桶に入って燃やされるのだ』

こう考えると頭髪なんて大したことはないのだ。どんなフサフサな人も、ツルツルな人も燃やされて人生を終える。

この『あと数十年後には棺桶に入って燃やされるのだ』と言う考えは、頭髪に限ってと言う訳でなく、様々な人生を送っている人も使えるのだ。ツキに見放されムシャクシャしてる人、自分の実力の限界が見えて劣等感を感じている人、理不尽な世の中に絶望感を味わっている人・・・

どんなにフサフサな人生を送っているように見える人だって、いつかは燃やされて終わりなのだ。そう考えると人生なんて大した差はない。

よく『歴史に名を残した』と言われるが、この世に残る名など存在しない。何故なら歴史上の人物の名を知った人も、いつかは燃やされて終わるからだ。

世の中とは、自分が存在するからある訳で、自分の存在が消滅する時に、世の中も消滅する。毎日、何処かで世の中は消滅している。

従って、残る名など存在しないと言う事になる。太陽だってお月様だって消滅する命と共に消滅する事になるのだ。

そう深く考えを巡らせる事で、色んな事が大した事ではなくなる。皆さん、色々と生きてく上で大変ですが、皆さん一人一人、世の中を消滅させられる事が出来ます。機関銃や核兵器なんて無くても、自然にその時は来ます。それまで頑張って生きましょう。


ツルツルもフサフサもなく・・・


昨日から暑さが戻り、木曜日まで続くようだ。本当に着る物に悩む季節だ。

庭の僕の小さな畑は🍆と🍅が成長中だ。本当は時間差を付けて蒔いた🍆の収穫は9月だったのだが、8月の日照不足で🍆は成長を止めしぼんでしまった。今回はどうだろうか?

蒔いた🍅の種は確かプチ🍅だったと思うのだが、随分と大きい🍅が実っている。掌に乗せる位のもある。まだ随分青いので、完熟までは数週間必要なようだ。🍅は乾燥地帯の方が甘く美味しくなるようだが、そんな事は僕の庭では出来ない。

僕の小さな畑には、おんぶバッタやカマキリも住み付いている。🍅と🍆の観察の時は、それらとも挨拶をする。おんぶバッタって親子じゃなくて、おんぶされてるように見える小さいのがオスだそうだ。親子と思ってた時と、見る目が違うのは確かだ。

🍅も🍆も花が咲く所から実を付ける。その仕組みも僕は好きだ。ダイソーで購入した種で結構な収穫が期待出来そうだ。その味に期待はあまりしていないが、自分で蒔いた種の収穫は楽しい。これらは土と雨と太陽の恵みそのものなのだ。

人もまた、これらの野菜と同じである事を認識する。芽を出し、花を咲かせ、やがて実を結ぶ。人もそれぞれに花の色や実の大きさは違うが、やがて土に帰るのだ。

季節のメロディーに合わせ・・・







ギンナンが落下し始めた。
まだ青いのもある事から、先日の台風の影響で落ちたものだと思う。近所の公園のギンナンはまだあまり落ちてなかったので、これからだと思う。

東京の方は拾うのが恥ずかしいのか?あまりギンナンを拾わない。せっかくの秋の恵なのに勿体ないなと思う。近所の公園のギンナンの大半は僕の胃袋に収まりそうだ。

小平市の鷹の台駅から5、6分だろうか?いちょう公園と言う小さな公園がある。僕が何故か好きな公園で、小さな敷地のど真ん中に大きなイチョウの木が立っている。人気のない小さなその公園で、ぼんやりとそのイチョウの木を見上げるのが好きで、たまに出掛けている。ギンナンの落ちる季節にはまだ行ってないのだが、そのイチョウの木もギンナンを沢山落とすのだろうか?次の休みには出掛けてみようと思う。あの辺りに住んでる方ならギンナンは拾いそうな気はするな。

涼しくなってきて過ごしやすくなったが、日が短くなって行くのは寂しい。しかしこの寂しい季節からの窓明かりや街明かりには、この季節ならではの温かさがある。

カレーのCMがシチューに代わったりもする季節。湯気の上がる食事が恋しくもなる。この季節に困る事は、残り物の素麺だ。封は開いてるので、食べなきゃ食べなきゃと思いながら、手が付けられなくなる。お得用の大きなのを選らばなきゃ良かったな😖といつも思う。

あと4食分は残っている。本来は冷たくして美味しい素麺だが、温かくして美味しく食べてみようと思う。