今回は弥生時代について解説していきます。よろしくお願いします。
最初に弥生時代の時期区分についてのお話をしたい所ですが、それに関しては色々複雑なのでまた後で説明したいと思います。
まずは弥生時代の時代的な特徴について解説したいと思います。昔は弥生土器が登場した時期を弥生時代の始まりだと捉える考え方が一般的でしたが、今は違っています。東京都の弥生町にある遺跡から縄文土器とは特徴が異なる土器が発見され、その赤褐色で茶色がかった土器は「弥生土器」と名付けられました。そして、弥生土器には「用途に応じて型式が変わる」という特徴があることが判明しました。しかし、研究が進められていくにつれて、縄文土器の中に弥生土器と同じような特徴を持ったタイプが発見されていき、弥生土器と縄文土器の線引きが難しくなってしまいました。(一例をあげるならば、青森県の亀ヶ岡式土器という縄文土器が弥生土器の特徴を持っています。)
弥生土器と呼んでいた土器が縄文時代にも存在することがわかった後、弥生時代の開始時期は
「日本に水田稲作が伝わったとき」という解釈に変わりました。
しかし、この開始時期の解釈も研究者によって異なっており、「水田稲作が伝わったとき派閥」と「水田稲作が伝わって、更に広まったとき派閥」の二大勢力が存在します。(山川の日本史ではかなりぼかしたような表現がされています)今回は「紀元前8世紀」に弥生時代が開始したと把握してください。
また、もう一つ注意が必要なのは、水田稲作が伝わったのは「北海道・南西諸島以外」ということです。北海道・南西諸島にも水田稲作が伝来した可能性もありますが、その2つの地域では水田稲作に頼ることなく生活を続けられたことに加え、不向きだったため「伝来したが普及しなかった」と理解しましょう。北海道では「続縄文文化」、南西諸島では「貝塚文化」が発達しており、本州・四国・九州とは異なる独自の文化が形成されていました。
ここまでの知識を踏まえ弥生時代がどのような時代なのか解説すると、弥生時代を「日本列島に弥生文化・続縄文文化・貝塚文化という3つの文化が広がった時代」というように解釈しましょう。
次はなぜ日本列島に水田稲作が伝わったのか説明します。諸説ありますが、水田稲作は朝鮮半島から日本列島に伝えられたという説が有力な説となっています。縄文時代後期に気候が寒冷化したことに伴い、朝鮮半島の人々が暖かい気候を求めて南下してきたことが起原だと把握しましょう。つまり「弥生時代に水田稲作が伝来した=縄文時代後期の寒冷化」なのです!これでつながりが見えたかなと思います。また、水田稲作と同タイミングで「金属器・弥生土器」が日本列島に普及しました。
今回はここまでです。次回も引き続き弥生時代について解説します。