船頭重吉の少年時代 ( 2 )
佐久島には、千石船が時々が西の浜に停泊して
行くことが有り、
大島より釣り場が設けられています。
対岸におひるねハウス
「大きくなったら千石船の船頭になりてえ」
七歳の暮れ、寺の浦に畑があり、麦ふみをし
ていると、沖で沈没しかかっている船を発見、
重吉はすぐに走ってみんなに知らせ回り遭難船
を救ったことは、三河から尾張、遠州まで伝え
られ、評判になりました。
筒島別名弁天島
重吉は同年の子供たちより一回りも大きく仲間
からも慕われ、
小さい子や弱いもの味方になった!ガキ大将でも
あった。
クジラの解体されたといわれています。
15歳のときに養子の話があり、大念和尚にも相談
して、尾張国知多の半田村の農業庄兵衛に養子に
なることを決めた。
暫くして寛政11年(1799)このころ、船乗りになりました。
参考資料
愛知の輝く人々
ふるさと散歩道
一色の民話
千石船200年目海の男 「船頭重吉の会」
会長 水野克宣
会員案内人のようさん
大念和尚はいつも真剣に勉強する重吉に感心。
「重吉、志を高く持って、頑張るんだぞ」言い
聞かせました。つづく