西尾鉄道開通
荻原の粕谷縫右衛門ら地元有力者四十六名が出資して設立された西三軌道(後の西尾鉄道)明治末に吉良の里を初めて鉄道が走った。その後西尾鉄道は大正三年に西尾~平坂港前間三・九キロの営業を開始。
吉良吉田駅
そして翌年西尾~吉良吉田間も一色口まで二月に開通させ、矢作古川の鉄橋の難工事も完成しその年の八月には九・三キロ吉良吉田間の営業が始まり、現在の吉良町内に初めて鉄道が開通。
まぼろしの味浜線
町内に上横須賀駅、東富田停留所、荻原駅、吉良吉田駅が設置されました。
吉良吉田駅
吉良吉田間鐡道建設費明細書
第12期 報告書
大正4年7月1日
客車収入
24、452円90銭5厘
貨車収入
4、453円21銭
雑収入
265円14
総収入 29、171円25銭5厘
利益 6、295円33銭5厘
株主配当金5、702円22銭1厘
糟谷肥料部仲仕衆
肥料は荻原駅より各地へ貨物列車で搬送した。
糟谷縫右衛門重徳は西尾鉄道の大株主でした。
これより、吉良吉田から西尾経由で、
東海道本線岡崎駅までが結ばれました。
宮崎物品陳列場
西尾鉄道が経営した、海水浴時期には
休憩所として活用されました。
大正10年のタクシー
そして東京へも列車で一晩で!大正五年には、吉良吉田から吉田港まで貨物線0・五キロが延長され、一帯の塩田で取れた塩などの輸送にも大きな役割をはたしてきました。開通当初の線路を走っていたのは軽便鉄道と呼ばれる小型の蒸気機関車でしたが、
吉良吉田駅での開通記念写真
大正十五年に愛知電気鉄道と合併と成り昭和三年に平坂線共に吉田戦も電化されレール幅も七六二センチから東海道本線に採用されている一○六七センチと広がり、すこし遅れて昭和四年には岡崎新~西尾間もなされ、昭和十年に名岐鉄道と愛知電気鉄道とが合併し名古屋鉄道(名鉄)と改称、その後昭和十六年に三河鉄道も合併。
(参考資料 吉良町閉町記念誌より)
8月5日の吉良吉田線の開通
合わせ時刻表を改正
左から
うなぎの日本一と言われる
一色のまんてんくん
西尾のお抹茶の里 まーちゃ
幡豆のこどもの国 みどぽん(はなのき号)
次郎長一家の吉良の仁吉
義理と人情
尾崎士郎
人生劇場の・青春編の挿絵
生家辰巳屋が倒産し、上京する母おみねに
付きそう吉良常と横須賀を去る場面
吉良の殿さまと黄金堤
ご縁があり、訪問頂き
皆様に ありがとうございます。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
案内人ようさん