歴史公園の夢と足跡 | 歴史公園の夢と足跡

歴史公園の夢と足跡

ブログの説明を入力します。
城下町未来(吉良の荘)
歴史公園を中心に昔今(夢)の物語を


歴史公園の夢と足跡

  当時の街並みと


駅前広場(吾妻町駐車所)


歴史公園の夢と足跡


本町の鳥山伝兵衛経営のはと屋


創業1861年


歴史公園の夢と足跡    歴史公園の夢と足跡

鳥山伝兵衛     岩瀬弥助


歴史公園の夢と足跡


大正元年10月13日の大火前


の本町(まだ2間そこそこの道路)


歴史公園の夢と足跡


 中町通り 大正初期


昭和26年に現在の


       ように成りました。



歴史公園の夢と足跡

        最初の西尾駅舎


 明治四十二年五月二日午後


四時より、岡崎町に電鉄の件


にて鳥山伝兵衛、鳥山武平


(呉服商の息子、伝兵衛のいとこ)、


尾崎久治(度量衝商・綿布業)、


鍋田清助(雑貨商)、鈴木友冶郎


(西尾町長)の五人、(発起人)が


岡崎商業会議所に出席し、

同町有力者、千賀千太郎外数名


と会見。


此処より西三軌道(のちに西尾鉄道)


の調査する事を決定、計画設計が始まる。


歴史公園の夢と足跡


須田町通り


いよいよ西尾鉄道施設計画


本格し出したが、(明治四


十二年五月六日)その為には


どうしても多額の資金が必要


になる、それには豪商岩瀬弥


助に参加以外にないと・・


交渉には伝兵衛・久冶・友冶朗


が説得にあたる。



岩瀬弥助は2年前に独力で


(岩瀬文庫は全国で民間では


最高の立派な施設) 設立

 


久冶はまず敷くことなんだ。


力を貸して下さいと。 
 

伝兵衛は一つ年下だが私も


弥助さんの店も原料・肥料の


仕入れる為にもこれからは鉄


道の時代だということが必要


なことは十分に承知している


はずだと・・・


 町長(友冶朗)は鉄道を敷く


ことは政治の問題でもあるが、


政治嫌いのあんたに迷惑は


かけないから。資金面の都合


つけてほしいのだ。
 

弥助はただ沈黙  !?


明治四十二年五月十一日


鉄道の件了解した。ニ十ニ日


(岩瀬文庫にて会合を持ちたし。


連絡頼む)それだけであった、


弥助が動いた。 パンチ!


鳥山 伝兵衛日記より  


歴史公園の夢と足跡


西尾鉄道 岡崎新駅と2号機関車

 

  明治44年10月29日開通