三国志の世界において、華々しく敵陣を突破する「矛」の武将は人気ですが、絶体絶命のピンチを凌ぎ切る「盾」の武将こそ、組織には欠かせない存在です。


​今回は、数多の激戦を戦い抜いた「守りの達人」たちをピックアップしてご紹介します。


​鉄壁の守護神:曹仁(子孝)


​曹操軍の守備の要といえば、まず名前が挙がるのが曹仁です。


​彼は単に城にこもるだけでなく、「攻めて勝つ守り」を得意としました。特に有名なのは江陵の戦いです。周瑜率いる数万の孫権軍を相手に、わずかな手勢で一年近くも持ちこたえ、自ら精鋭を率いて敵陣に突撃し、部下を救出するという伝説的な武勇を見せつけました。


​のちに最強の武聖・関羽に包囲された樊城の戦いでも、膝まで水に浸かりながら「ここを抜かれたら国が終わる」と兵を鼓舞し、最後まで城を守り抜きました。


​難攻不落の郝昭(伯道)


​諸葛亮がその生涯で最も「計算を狂わされた」男、それが魏の郝昭です。


​第2次北伐において、諸葛亮率いる数万の大軍が陳倉の城を包囲しました。対する郝昭の守備兵はわずか千人余り。諸葛亮は雲梯や衝車、さらには地下道まで掘って攻め立てますが、郝昭はそのすべてに対して完璧なカウンターを合わせ、20日間にわたって猛攻を凌ぎ切りました。


​結局、蜀軍は兵糧が尽きて撤退。「守備の天才」の名を歴史に刻んだ瞬間でした。


​呉の不動のエース:朱然


​孫権軍において、守備でその名を轟かせたのが朱然です。


​関羽亡き後の荊州を守り、夷陵の戦いでも活躍しましたが、彼の真骨頂は江陵防衛戦にあります。魏の曹真・張郃・夏侯尚ら、そうそうたる名将たちが五方から攻め寄せ、さらに城内では疫病が流行するという最悪のコンディション。


​しかし朱然は、わずか5,000の兵で半年間耐え抜き、魏軍を撤退に追い込みました。この鉄壁ぶりには、敵国である魏の人間すら驚嘆したと伝えられています。


​蜀のラストリゾート:王平


​派手さはありませんが、蜀の防衛において欠かせないのが王平です。


​街亭の戦いでは、馬謖の失策をカバーして軍の崩壊を防ぎました。その後、漢中の守備を任された「興勢の役」では、魏の曹爽が率いる10数万の大軍に対し、わずか3万足らずの兵で対峙。


​周囲が「一度引いてから戦うべき」と主張する中、王平は「ここで通せば漢中が危ない」と要所を固めて動かず、見事に大軍を撃退しました。蜀の末期、彼がいなければ国はもっと早く滅んでいたかもしれません。


​三国志の魅力は、こうした「崩れない男たち」の意地にも詰まっていますね。