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坂 「だらだら坂」 向田邦子

★「だらだら坂」 向田邦子

 庄治は愛人・トミ子をアパートに住まわせて囲っている。
 庄治はだらだら坂を登ってトミ子のところに通う。

「このあたりは、もとは麻布と呼ばれた屋敷町である。坂の両脇には、昔ながらの古びた家をいたわりながら住んでいたり、思い切って建て替えたりの違いはあるにしろ、庭つきのかなりいい家がならんでいた。
 石塀に蔦のからんでいるうちがある。白木蓮、藤、山吹、百日紅。庄治は生垣の間から、庭をのぞき込みながら、ゆっくりと歩いた。沈丁花の匂いも、久しぶりに嗅いだ気がした。この坂は庄治の四季であった」

 こんな気持ちで坂を登っていた庄治だが、トミ子に男ができた時、坂はこう変化する。
 庄治は疲れ果て、坂を登るのをやめる。タクシーで坂の上まで来て下る。

「だらだら坂は、自分でも気がつかないうちに爪先が先に降りていく。下から上がっていくときの、馴染んだ家や庭ではない、はじめて見る表札や垣根である。
 大した坂ではないと思っていたが、それでもこのあたりは高台になっているらしく、目の下に商店街がひろがってみえる。垣根もガラス窓も看板も、みな蜜柑色に輝いていた。
 夕焼けであった。
 ちょうど一年、この坂を上り下りしながら、上りは陽に背を向け、帰りは闇になっていた」

 風景が気持ちによって違って見えてくる。
 そんな情景描写だ。

持ち物 「大穴」 ディック・フランシス

★「大穴」 ディック・フランシス


「宝石箱の底にペーパーバックの小説が四冊入っていた。

 いかにもわいせつな内容で、クレイの夫としての能力に疑いを感じるくらいであった。

 本の横に厚い革張りの日記があった。中に美しきクレイ夫人がいろいろと社会生活と奇妙な秘事を書き込んでいた。

 彼女の生活は衣類と同じように乱雑な内容のようで、人並みの社会生活と夢幻と変態的な夫婦生活が入り交じっている。日記の内容が本当であるとすると、彼女とハワードの双方が、ふつうの性行為よりも、彼が彼女を鞭打つことにいっそう深い快感を覚えるようである、と思った。

 箱の底にはあとふたつ興味のある品が入っていた。ひとつは丸めて茶色のベルベットの袋に入れてある、学校の先生がよく使う革紐で、その用途は日記の内容からおして容易に想像できた。

 もうひとつはチョコレートの空き箱に入れてある拳銃であった」


※人物描写をするのに、持ち物から描写しているのがすごい。

 特に他人に見られたくないものは、その人の隠された人間性を表現するもの。

 クレイ夫人はこの後、主人公シッド・ハーレーを苦しめる悪役である。

 最後に『拳銃』があったとしているのも気が利いている。



 

悪 「わるいやつら」 松本清張

★「わるいやつら」 松本清張


 医師・戸谷にそそのかされて、夫に毒を盛る横武たつ子。

 たつ子は密会の場で戸谷から毒を受け取る時、いったん先延ばしにする。

 彼女の心情描写。


「『あとでいいわ』

 低いが抑えた声だった。

 彼女は、自分の罪悪感を薄めようとしているのだ。三十分でも一時間でも、延ばすことで、自分の良心めいたものを見せようとしている。

 あさはかな女である。彼女は、絶えず夫の毒殺を計る連続行為の意識から解放されることはない。彼女の夫は衰えている。彼女は、毎日、眼前に夫の衰弱の増すのを見て暮らしている。その原因が、この薬包みの白い粉だ、と彼女は思い込んでいる。

 毒の現物を受け取るたびに、彼女は新しい昂ぶりを覚えるのである。その刺激が絶えず彼女に働いている。今の場合、『白い毒薬』を一時間後に受け取らねばならぬ心理的拘束が、それを手にしたとき以上に興奮させているのである。

 戸谷は、その眼の表情に早くも女の興奮が出ているのを見逃さなかった。

 彼女はその邪悪な品を手にするまで、絶えず不安と愉悦とをつづける。薬の入手を一寸先延ばししている気持ちの中には、その興奮の持続を望んでいるのだ」


 そしてセックスするふたり。

 その時のたつ子はこうだ。


「五服の薬包みを渡すのは、一ヶ月に一度である。この一度が彼女を狂奔させるのだ。悪の意識が変形して彼女を戸谷に向かって疾駆させ、その狂暴の中に彼女は陶酔する」


※罪と悪の意識が女を興奮させ、セックスに狂奔させるというのがすごい。

 松本清張は犯罪者の心理を描いた作家だが、『悪→陶酔』と分析したのは鋭い。

 人はやってはいけないことをする時、『不安と愉悦』の間を彷徨い続ける。

  



昭和二十年十月 「麻雀放浪記」 阿佐田哲也

★「麻雀放浪記」 阿佐田哲也


 物語の書き出し部分。

 終戦直後の東京の描写。


「もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの常識としてしかご存じない方も多かろう。が、試みに東京の舗装道路を、どこといわず掘ってみれば、確実に、ドス黒い焼土がすぐさま現れてくるはずである。

 つい二十年あまり前、東京が見渡す限りの焼け野原と化したことがあった。当時、上野の山に立って東を見ると、国際劇場がありありと見えたし、南を見れば都心のビル街の外殻が手に取るように望めた。つまり、その間にほとんど何もなかったのだ。

 人々は、地面と同じように丸裸だった。食う物も着る物も、住む所もない。にもかかわらず、ぎらぎらと照りつける太陽の下を、誰彼なしに実によく歩いた。

 盛り場の道もどこも混雑していた。ただ歩くだけなのだ。闇市もまだなかった。映画館も大部分は焼失していた。けれども人々は、命をとりとめて大道を闊歩できることにただ満足しているようであった。

 バタ屋部落はその頃からあった。しかし、まだその名前では呼ばれていなかったように思う。浮浪者というのは、その頃、職と住所を失った人の名称であり、それはすこしも珍しい身の上ではなかった。どれほどの数がいたかは知らないが、彼らは上野駅の地下道を占領し、山の上の公園内にも、不忍池のほとりにも瘡蓋のように拡がっていた。毎日、どこかの路上には行き倒れが転がっていた。

 そうして人々は、その姿にもまったく無感動で、石ころを眺めるように通り過ぎていった。

 昭和二十年十月……」


 何もない焼け野原。

 そこに生きる人たちにも何もなくて……。

 この作品の主人公、坊や哲はこの何もない時代を愛していた。

 しかし、物語を追うにつれて、つまり時代を追う事に『持てる者と持たざる者』『秩序』が出て来て、哲は違和感を覚えるようになる。

 自分の居場所を見出せなくなる。

 そんな後の物語も想起させる見事な小説の書き出しだ。

 これは単なる情況描写でなく、主人公の心象も描いた描写なのである。


 それにしても

『もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの常識としてしかご存じない方も多かろう。が、試みに東京の舗装道路を、どこといわず掘ってみれば、確実に、ドス黒い焼土がすぐさま現れてくるはずである』

 の描写は見事だ。

『もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの常識としてしかご存じない方も多かろう』と読者に呼びかけておいて、舗装道路の下に『ドス黒い焼土』が埋まっていると言う。

 この描写で、読者は昭和二十年十月にタイムスリップする。


 また作家には、舗装道路の下にあるものが見える。

 作家は普通の人間に見えないものを見ているのだ。



自己嫌悪 「多恵子ガール」 氷室冴子

★「多恵子ガール」 氷室冴子


 原田多恵子は中学生。

 ある時、同級生の加納健二に意地悪される。

 知らない男の人から手紙を受け取り、手紙に書いてあった理科室に行ってしまう多恵子。

 しかし、それは加納の偽手紙で、多恵子は加納にこう言われる。


「簡単に引っかかったもんな。おまえ、三年生とつき合って色気づいてるから、引っかかると思ったんだ。給食終わったらすました顔で教室出ていってさ、笑ったよ」


 そして多恵子の心象描写。多恵子は三年生とは噂になっているだけでつき合っていない。


「あたしは何度も唾を飲み込んだ。

 頭がガンガンしてくる。

 加納君は何を言っているんだろう。

 色気づいたって、なによ。

 なんで、そんなこと言うの。

 あたし、どこかおかしい? 変?

 そんなこと言われるほど、どっか変なの?

 いろいろ言い返してやりたいけど、いつもみたいにワーワー機関銃みたいに言ってやりたいけど、何か言ったら泣いてしまいそうで言葉が出て来ない。

 『謝ってよ』

 あたしは必死になって、それだけ絞り出した」


 思春期の子供たちはデリケートだ。

 何気ない言葉にも傷つく。

 多恵子の場合は「色気づいた」。

 多恵子は同級生の雨城なぎさくんのことが好きなのだが、なぎさの前でそんなことを言われたのも恥ずかしい。

 『いろいろ言い返してやりたいけど、いつもみたいにワーワー機関銃みたいに言ってやりたいけど、何か言ったら泣いてしまいそうで言葉が出て来ない』

 という表現が多恵子の混乱を見事に現している。


 こんな表現もある。

 多恵子がいじめっ子加納の本当の姿を知った時のことだ。

 加納は実は母親を最近亡くしていた。それに多恵子のことが好きだった。

 そんな気持ちがごちゃまぜになって多恵子に意地悪していたのだ。

 多恵子は加納の表面だけを見ていた自分を自己嫌悪する。


「自分が馬鹿で、いいとこなしの子だからさ。

 ムキになって、怒って、ヒスって、泣いて、今はそれだけの子だもの。

 雨城くんのことだって、誰も知らない雨城くんを知っているつもりになってて、ほんとはみんなが知ってる雨城くんを知らないかもしれないし。

 あたし、それくらいガキなんだ。

 だから、もう少し待つんだ。あたしがもう少しマシになるまで。

 『明日から、あたし、今までと違う目で、いろんなこと見るんだ。そうするんだ』」


 思春期の子は劣等感のかたまりだ。

 傷ついて、そして自分を向上させようとする。

 僕はここにある『だから、もう少し待つんだ。あたしがもう少しマシになるまで』という表現が好きだ。

 劣等感と向上への想いは次の様な表現にも見られる。

 走り高跳びをする大好きななぎさに託してこう思う。


「好きな人と同じ高校に行きたいってセンチメンタルな思い入れだったのかもしれないけど、それよりもなんというか、あの高く跳ぶ少年にふさわしい人間でいたいって気持ちが強かった。

 顔でも成績でも性格でも、なんでもいいから、つり合うものがほしいなと思った。

 顔については論評を避けるしかないし、性格はいいとこも悪いとこも半分は持って生まれたものだし、あと努力してできるものと言えば成績だけだった。

 あたし、一生懸命勉強したなあ。

 テストのたびに成績順位が上がるのが快感で、もう、ほとんど身も心も勉強に捧げてたよ、なぎさくん」


 この作品は思春期の女の子の気持ちを描いた秀作だ。



生命力 「美は乱調にあり」 瀬戸内寂聴

★「美は乱調にあり」 瀬戸内寂聴


「辻は当時、野枝に『興味ある生徒』以外の、女として、何の魅力も感じていなかった。浅黒い顔に眉と目の迫った、燃えるような目と、大きく肉感的な唇を持った野枝は、陽にあたためられた獣のような匂いと雰囲気を躯中で発散していた。野暮ったく、一向になりふりかまわない服装は、江戸趣味の中でも粋な下町好みの辻の目には田舎臭くうす汚くさえ映っていた。

 けれどもリトマス試験紙が水に濡れるような的確さと素速さで、教えたことにことごとく鮮やかな反応を示す野枝の貪欲な感受性には、教師として無関心ではいられなかった。

 女教師たちが揃って野枝のことを我が強く生意気で可愛げがないといって嫌っているのも興味があった。辻にはむしろそんな野枝の強情さやむきな反抗心が、野性的で可愛く感じられていたのだ。

 辻はしだいに教室以外で、野枝の才能を刺激し、かくされている芽をのびさせる努力を愉しむようになった」



 大逆事件の伊藤野枝を描いた作品。

 今回の抜粋は後に野枝と夫婦になる辻潤が教師として野枝を見た時の描写。

 野暮ったいが才気と生命力溢れる野枝の姿が見事に表現されている。

 教師と生徒の禁じられた愛の始まりでもある。


 『野枝の才能を刺激し、かくされている芽をのびさせる努力を愉しむ』ようになった辻はやがて野枝に捨てられる。野枝は辻を捨てて大杉栄に走るのだ。

 そんな辻の姿は谷崎潤一郎の『痴人の愛』を思わせる。


 

シャーロック・ホームズ 「赤髪組合」

★「赤髪組合」 コナン・ドイル


「その午後いっぱいを彼は最大の幸福にひたって、細長い指を音楽にあわせて静かに動かしていた。こんなときのおだやかな微笑をふくんだ顔つきや、夢み心地のけだるそうな瞳は、警察犬としてのホームズ、冷徹敏捷な探偵としてのホームズとは、似ても似つかぬものがあった。この不思議な性格は、二種傾向が同時に対立することなく、交互にまったく他を圧倒してしまうところからおこるのであって、一方の性質である極度の的確さとか慧敏さとか一方の傾向である詩的な瞑想の世界に遊んだあとでは、その反動で、いっそうたちまちまさって目につくように思われるのである。

 彼の気質は極端なゆるみから極端な緊張へ、また極端なゆるみへと移り変わって、その中間に停滞する場合というものはない」



※ホームズの『古書や音楽を愛する性格』と『理性的活動的な性格』を表現したもの。

 ホームズの世界は理性的論理的であるが、19世紀末の科学万能主義の影響を受けている。

 それはこのホームズの性格描写にも現れている。

 現在だったら、こんな性格描写はしないだろう。


 もうひとつホームズ。


「おかげで退屈がしのげたよ。ああ、またそろそろ退屈がおしよせてきたようだ。僕の生き甲斐は、生存の退屈からのがれようともがくことで終始しているんだね。こうした事件があるので、ときどき退屈を忘れさせてくれるんだ」



※ホームズの根底には『生存の退屈』がある。

 それを紛らわすために、芸術の世界があり、犯罪の世界があるというわけだ。

 こちらの表現の方が、ホームズの性格分析として現代風の様な気がする。




沈黙 「夜が傷つける」 唯川 恵

★「夜が傷つける」 唯川 恵


「私たちに沈黙が訪れた。

 沈黙は、苦い樹液のようにふたりの間に流れ込んだ。出会った頃にもよくこうして沈黙した。けれど、それはまったく異質のものだった。あの頃、私たちは沈黙している時の方がはるかに多くを語り合っていた。沈黙の長さは、愛し合っている、と言っているのと同じだった。あの頃も、私たちは沈黙を怖れたが、それは全身で愛していると告白している自分が死にたいほど恥ずかしかったからだ。

 この沈黙を解消するには、どちらかが話題を提供するしかないが、宗夫も私も何も言わない。意地になっているわけでじゃない。私は胸の中に溢れるほどの言葉を持ちながら、どれをすくい上げればよいのかわからない。しかし宗夫は、言葉を見つけようとしていないのだった。最初から会話を放棄している。彼の胸の中はからっぽだ。さもなくば別のことで占められている。彼は意識して、隣に座る私のことを考えまいとしている。

 カウンターの向こうにいるバーテンダーが、そ知らぬ顔で私たちの状況を観察している。せめて他人には恋人同士らしく見えていたいというささやかな望みさえも、叶えられそうにない。私は唇を噛んだ」




※別れる直前の男女の心情を綴っている。

 現在の『沈黙』は愛し合っていた頃の『沈黙』と質が違っているというのが面白い。

 また、女は別れるか別れないでいるべきか迷っていて、言葉を探しているのに対し、宗夫は完全に会話を放棄しているという心象描写も的確だ。

 バーテンの目を気にしているのも視点の変化があっていい。


 この作品にはその他にも別れる直前の女性の心象が切々と語られている。



雨 「沈黙の教室」 折原 一

★「沈黙の教室」 折原 一


 『雨足が激しくなってきた。三十分前まではポツリポツリと降る程度だったが、車を走らせているうちに、だんだんひどい降りになり、ついには土砂降りになった。

 大粒の雨が、フロントガラスを滝のように流れていく。

 ワイパーが必死にかき分けても、ほとんど効果はなく、大量の水はフロントガラスの上に厚く歪んだレンズのような膜を作る。

 塚本由美はヘッドライトの照らす路面を必死に目で追ったが、視界は悪く、十メートル以上先も見えないあり様だった。

 車内のデジタル時計は午前二時十二分を示している。音楽は眠気を誘発するのでカーステレオは切ってあるが、つけていても、車体に叩きつける雨の音に邪魔されて音楽は聞こえないだろう』




※土砂降りを次の表現で具体的に説明している。

『大粒の雨が、フロントガラスを滝のように流れていく。

 ワイパーが必死にかき分けても、ほとんど効果はなく、大量の水はフロントガラスの上に厚く歪んだレンズのような膜を作る』

『厚く歪んだレンズ』という表現は秀逸。


※『音楽は眠気を誘発するのでカーステレオは切ってあるが、つけていても、車体に叩きつける雨の音に邪魔されて音楽は聞こえないだろう』

 という表現は土砂降りを音で表現したものだが、『音楽は』の主語がいくつもあるのは、疑問。