先日、大阪・関西万博に行った。
第一印象を述べたい。
それは、会場の雰囲気が和やかで、ほっこりした、緩やかな空気感があったことだ。
これは本当に意外だった。
平日の午後とはいえ、会場にはそれなりの人混みがあり、パビリオンはどこに並んでも一時間前後、下手をすれば二時間待ちのパビリオンもあったからだ。
限られた時間の中で、多くのパビリオンを見ようと思えば、
気持ちも急くし、待ち時間にイライラもするだろう。
そこに、運営上のトラブルが重なればなおさらのことだ。
万博にも様々な運営上のトラブルが発生し、
その種の報道やSNS上での不満の声も多く見られる。
ところが、来場者の雰囲気にイライラや険悪さは感じられない。
何だか明るいのである。
それは単純に、パビリオンに興味津々だから。
待ち時間のイライラより期待感が上回っているのである。
パビリオンを見て、何らかの発見をし、知的興奮を感じる。
次なる興味へとそそられる。
そこで得た驚き、楽しみに、知らなかった知識や新たな知見。
人間は何か新しい発見をしたとき、心に温かなものが流れるのだろう。
また、日本人だけではなく、多くの外国人にも出会う。
国籍を問わず、新たな発見に喜びを見出した人間というのは、
楽しげな雰囲気をまとう。
そこに得も言われぬ、しなやかで、くつろいだ空気感を醸し出す。
知らない者との間で、自然に会話があふれ出す。
日頃は何の変哲もない日常を送っていても、
新たな世界に自由な想像をめぐらせるとき、
そこには広やかな、未知なるものを受け入れる、
ゆったりとした、豊かな時間が流れている。
日頃は人間関係の希薄な私も、初対面にもかかわらず、
会場で4、5人ほどと会話を交わした。
パビリオンのアテンダントも含めれば、10人ほどになるだろう。
そこには、知らない者同士の間で自然な会話を生み出す、
日頃身につけている鎧のようなものを脱ぎ捨てさせる、
何かやわらかなものが漂っているのだろう。
「不寛容」が蔓延している昨今、この世界の片隅にある夢洲には
「寛容」の空気が流れているのかもしれない。