フォロワ―の皆様方、並びにいつも私のブログをお読みいただいている皆様方、大変お久しぶりでございます。

 

 

 

新型コロナウィルス流行の影響で業務が多忙を極め、7月よりブログを一時休止しておりました。

 

 

 

現在でも大学受験や高校入試等に向けて忙しさは続いておりますが、少し時間的・精神的に余裕がでてまいりました。

 

 

 

しかし、以前のように定期的にブログをアップするのは難しい状況がございます。

 

 

 

不定期で大変恐縮ではございますが、「日本史を深める」ブログをお読みいただければと存じます。

 

 

 

何卒、宜しくお願い申し上げます🙇

 

 

 

 

 

さて、突然ですが、みなさんは「学制」を知っていますか

 

 

 

学制とは、日本最初の近代的学校教育法規🏫のことです。

 

 

 

明治政府は1871(明治4)年7月文部省設置後、文部卿(もんぶきょう:現在の文部科学大臣)であった大木喬任の下、欧州先進国をモデルとする学校教育制度の確立に着手します。

 

 

 

大木喬任(おおき たかとう)とは、明治期の官僚で政治家です。

 

 

 

佐賀藩の出身で、明治国家の発展に尽力した人物として知られています。

 

 

 

公平、慎重な行動をとり、誠実、清廉な人柄だったと言われています😊

 

 

 

学制フランスの教育行政組織にならっていて、この教育法規により全国が8大学区に分けられることになりました(1873(明治6)年8大学区から7大学区に変更)。

 

 

 

各大学区に大学校1中学区32、そして各中学区に小学校を210校設置することになっていました。

 

 

 

つまり日本全国には8大学256の中学校5万3760の小学校が設立される計画であったわけです😲

 

 

 

ちなみに現在の小学校の数はどのくらいなのでしょうか❓

 

 

 

文部科学統計要覧(平成30年度版)によれば、以下に示すように2017(平成29)年の時点で、国公立・私立合わせて全国で2万95校となっています。

 
 
 
 
 

区 分

 
 

Total

 

  昭和30('55)

26,880

 

      35('60)

26,858

 

      40('65)

25,977

 

      45('70)

24,790

 

      50('75)

24,650

 

      55('80)

24,945

 

     60('85)

25,040

 

  平成 2('90)

24,827

 

       7('95)

24,548

 

      12('00)

24,106

 

      17('05)

23,123

 

      22('10)

22,000

 

      25('13)

21,131

 

      26('14)

20,852

 

      27('15)

20,601

 

      28('16)

20,313

 

      29('17)

20,095

 
 
 

 

 

明治政府の方針では「明治初期の段階」で、小学校を5万3760校設置することになっていましたが…。

 

 

 

何はともあれ、政府は文部省を頂点とした中央集権制を確立し、学校経営は授業料と学区住民の負担によることが原則とされました。

 

 

 

ここに日本の近代的公教育は初めて出発するのです。

 

 

 

1872(明治5)年に出された学制序文には、明治政府の教育に対する考え方があらわされています。

 

 

 

 

「人々自ラ其ノ身ヲ立テ、其ノ産を治メ、其ノ業ヲ昌(さかん)ニシテ、以テ其ノ生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、身ヲ修メ智ヲ開キ才芸ヲ長ズルニヨルナリ。而テ其ノ身ヲ修メ智を開キ、才芸ヲ長ズルハ、学ニアラザレバ能ハズ。是レ学校ノ設アル所以ニシテ…(略)自今以後、一般ノ人民(華士族卒農工商及婦女子)必ズ邑(むら)ニ不学ノ戸ナク、家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期ス。(略)」

 

 

 

 

現代語訳すると、次のようになります。

 

 

 

 

「人々は自分の身をたて、生計の道を開き、その職を盛んにし自分の人生を遂げることは、他でもなく身をおさめ、知識を広げ、才能技芸を伸ばすことで可能となる。それには学問が欠かせない。学校を設立する理由はここにある。…(略)以後、一般のすべての人民は、必ず村には不学の家がなく、家には不学の人がいないようにしなさい。(略)」

 

 

 

 

政府は、国民各自が身を立て、智を開き、産をつくるための学問という功利主義的な教育観をとなえました。

 

 

 

功利主義とは、哲学で、人間が幸福になることを人生または社会の最大目的とする考え方です。

 

 

 

つまり学問は人間の幸福につながるという考え方になります。

 

 

 

政府は小学校教育の普及に力を入れ、男女に等しく学ばせる「国民皆学教育」の浸透をはかりました。

 

 

 

この教育方針が、政府の理想でした。

 

 

 

現代の感覚でも納得できる、という方々が多いのではないでしょうか。

 

 

 

私が授業で生徒に聞いてみても、このような明治政府の考え方は間違っている!と発言した高校生はいません😅

 

 

 

 

1872(明治5)年に公布された「学制」。

 

 

 

理想があれば、現実があります。

 

 

 

この理想はどのような現実を迎えるのでしょうか❓

 

 

 

この続きは次回にしたいと思います😊