みなさんは、「円本(えんぽん)」を知っていますか❓

 

 

 

 

 

円本とは、「1冊の定価が1円の全集本📖」という意味で名付けられました。

 

 

 

 

1920年代の後半ごろ流行した出版界の現象で、同時期、東京市内の特定地域を1円均一の料金で走ったタクシー🚖を「円タク」と呼んだのと同種の略称です😊

 

 

 

 

1926(大正15)年12月3日改造社の『現代日本文学全集』全37巻に始まり、以後、新潮社の『世界文学全集』など、各社が競って従来の単行本数冊分を「全集」本の1冊に収めていることなどを広告し、数十に及ぶ文学全集を刊行しました。

 

 

 

 

 

また岩波書店が小型の書籍である文庫本を刊行して、低価格・大量出版の先駆けとなり、大衆娯楽雑誌『キング』の発行部数も100万部をこえました。

 

 

 

 

この時代は、新聞🗞や雑誌の発行部数が飛躍的に伸びた時代です。

 

 

 

 

 

大正末期には、『大阪朝日新聞』と『東京朝日新聞』、『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』の系列のように発行部数100万部をこえる新聞が現れ、『中央公論』や『改造』などの総合雑誌も急激な発展をとげました。

 

 

 

 

 

総合雑誌とは、論文や評論、それに随筆や小説などさまざまな記事を内容とする知識人向けの雑誌のことです。

 

 

 

 

 

さらには『サンデー毎日』や『週刊朝日』などの週刊誌、『主婦之友』などの女性雑誌のほか、一般投資家向けの『経済雑誌ダイヤモンド』なども刊行されました😊

 

 

 

 

 

このような読者層の拡大は、学歴の向上を前提条件としていると考えられます。

 

 

 

 

 

文字を読める人が増え、そして何よりも知的水準を向上させようとする人々が増えないことには、出版物は売れていきません。

 

 

 

 

 

どうしてこの時代、人々の学歴の向上がはかられたのでしょうか❓

 

 

 

 

 

 

 

日本の教育史を概観すると、1886(明治19)年に出された『小学校令』は、尋常科・高等科・簡易科(1890年廃止)を置くとともに、尋常科への就学義務を課します。

 

 

 

 

 

1900(明治33)年の『改正小学校令』は、尋常小学校の修業年限を4年に統一し、1907(明治40)年には尋常小学校は6年制、つまり義務教育が6年となり、第二次世界大戦前の制度が確立することになりました。

 

 

 

 

1892(明治25)年の就学率は男子70%女子36%でしたが、1900(明治33)年義務教育期間の授業料が廃止されたため、就学率は1902(明治35)年には90%を、そして1907(明治40)年には97%をこえます😲

 

 

 

 

 

こうしてほとんどの国民は、文字を読み、書けるようになるのです😊

 

 

 

 

 

1899(明治32)年の中学校令改正によって、「中学校は男子に須要なる高等教育をなす」学校として、高等学校(旧制)および大学(旧制)への進学を主目的とするようになります。

 

 

 

 

 

中学生の生徒数は、1920(大正9)年には約17万人でしたが、1930(昭和5)年には約34万人に倍増しています。

 

 

 

 

 

さらに、1918(大正7)年原敬内閣によって制定された高等学校令にもとづいて、高等学校の増設が進められていきます。

 

 

 

 

 

同年には大学令も制定され、総合大学である帝国大学のほかに、公立・私立の大学🏫の設置が認められることになりました。

 

 

 

 

 

大学生の数は、1918(大正7)年には約9000人でしたが、1930(昭和5)年には約7万人に増加するのです😲

 

 

 

 

 

こうして日本には「インテリ」と称される、知識・学問・教養を持った階層が増えていきました。

 

 

 

 

高学歴者であるインテリ層は、文字の読み書きだけでは飽き足らず、さらなる知的水準の向上をはかろうとします。

 

 

 

 

 

こうした欲求を満たすべく、新聞・雑誌・ラジオ・映画などのマス=メディアが急速に発達し、第一次世界大戦後には、労働者やサラリーマンなどの一般勤労者を担い手とする大衆文化が誕生するのです。

 

 

 

 

 

現在でもそうかも知れませんが、人々には学歴に対するあこがれがあります。

 

 

 

 

原敬内閣は衆議院での選挙で勝利するため、日本国民が渇望する学歴を国民に提供することで票を獲得していきます。

 

 

 

 

 

東大をはじめとする帝国大学しか「大学」ではなかった時代から、私立の学校が大学に昇格するなか、大学生になることができる国民が増え、彼らが日本文化の水準を向上させていったのです。

 

 

 

 

 

勉強したい

 

 

上級の学校に進学したい❢❢

 

 

 

 

 

この切実な思いこそが、人々の大きな原動力だったのです😊