前回の続きになります😊

 

 

 

 

その後、格式(きゃくしき)の編纂は、清和天皇(在位858年~876年)の勅命(ちょくめい:天皇の命令のこと)を受けて、公卿藤原氏宗(ふじわらのうじむね)によって「貞観格式(じょうがんきゃくしき)」が編纂されます。

 

 

 

 

さらに醍醐(だいご)天皇(在位897年~930年)の時代には、天皇の勅命を受けて、公卿である藤原時平によって「延喜格式(えんぎきゃくしき)」が編纂されました。

 

 

 

天皇の勅命を受けて、上級貴族である公卿が中心となり、積極的な国家事業が推進されているのがわかります😊

 

 

 

 

土地制度についてみてみると、前回お話しましたが、平安時代初期の天皇である桓武天皇班田収授(農民に口分田を支給し、その死後収公すること)を励行させるために、6年1回であった班田を12年1回に改めたにもかかわらず、9世紀には班田が30年50年と実施されない地域が増加していきました😨

 

 

 

 

律令国家体制が、徐々に崩壊に向かっているのです😓

 

 

 

 

 

 

10世紀前半醍醐天皇の時代には、律令国家の維持・復興が目指され、班田を命じる命令が出されています。

 

 

 

 

さらには醍醐天皇の治世において、日本で最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が編集されるなど、律令国家としての発展をはかる政策が実施されています。

 

 

 
 
 

 

 

しかし!

 
 

 

 

 

 

 

このような努力にもかかわらず、10世紀という時代は、律令国家において大きな転換期となる時代でした。

 

 

 

 

 

902(延喜2)年を最後に、班田を命じる史料の存在が確認できなくなります

 

 

 

 

また、六国史1つである『日本三代実録』、そして三代格式(さんだいきゃくしき)の1つである『延喜格式』が編纂されますが、それぞれ古代日本における国史・格式の最後となってしまいます。

 

 

 

 

これらは全て、醍醐天皇の治世において実施されています。

 

 

 

 

醍醐天皇は、摂政関白を置かず、天皇が中心となって政治を行う親政によって、律令国家体制を懸命に維持しようとするのですが、この時期を境として律令国家を維持・発展させていこうとする意欲的な国家事業が終了していくのです。

 

 

 

 

10世紀後半摂関政治の時代になると、積極的に新しい政策をかかげて国政を運営していくという姿勢に変化が見え始めます。

 

 

 

 

朝廷の行事や儀式を先例通りに実行していくことが、貴族としての最も重要な職務であると考えられるようになっていくのです。

 

 

 

 

そこで、日常の政務や儀式の作法を細かく記録し、本人や子孫の参考にするため貴族は「あるもの」を書くようになります。

 

 

 

 

それが、「日記」です。

 

 

 

 

藤原道長の『御堂関白記(みどうかんぱくき)』や、藤原行成(ゆきなり)の『権記(ごんき)』、藤原実資(さねすけ)による『小右記(しょうゆうき)』などがよく知られています。

 

 

 

 

また、朝廷の儀式や年中行事の作法を記した儀式書も、この時代には数多く作られています。

 

 

 

 

醍醐天皇の子である源高明(みなもとのたかあきら)の『西宮記(さいきゅうき)』や、藤原公任(ふじわらのきんとう)『北山抄(ほくざんしょう)』などです。

 

 

 

 

年中行事とは、日本古来の風習や中国に起源をもつ行事などを編成したもので、七夕(たなばた)・相撲(すまい)などのほか、叙位除目(じもく:役人の任命)などの政務に関するものまで幅広く含まれていました。

 

 

 

 

貴族には、これらの行事における作法を滞りなく遂行する能力が必要とされ、儀式において作法を間違えたりすると無能扱いされたのです😨

 

 

 

 

 

こうして歴史を見てくると、10世紀前半と後半とでは、貴族政治に大きな変化が見られることがよくわかると思います。

 

 

 

 

律令国家を維持・発展させるため、天皇の命令に従って、国史・格式の編纂に代表される国家事業を推進した10世紀前半

 

 

 

 

律令国家がいきづまりをみせる中で、先例を重んじ、儀式や行事を円滑に遂行することが重視された10世紀後半

 

 

 

 

貴族」と呼ばれた身分の者に求められた能力は、時代によって大きく異なっていたのです。

 

 

 

 

時代が変わるということは、人々に求められる能力が変わるということなのです。

 

 

 

 

時代はいつも変化しています。

 

 

 

 

私たちは歴史から多くのことを学ぶことができるはずです。

 

 

 

 

皆さんは、どう思いますか😊