皆さんは上に掲げた写真の建築物を知っていますか😊

 

 

 

 

この建築物は、9世紀前半の建立とされ、1998(平成10)年の台風で損壊し、2000(平成12)年に修復された「室生寺(むろうじ)五重塔」です。

 

 

 

 

以前、大学の入試問題で、この室生寺の「伽藍配置の特徴」に関する問題が出題されたことがあります☻

 

 

 

 

今回は室生寺が建立された時代についての歴史を深めてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

室生寺は奈良県宇陀(うだ)市室生区室生にある真言宗寺院です。

 

 

 

 

8世紀末頃、興福寺の僧賢璟(けんけい)が桓武天皇の命を受けて創建しました。

 

 

 

 

室生寺は長い間、興福寺の支配下にありましたが、江戸時代興福寺から独立して真言宗の寺院となり現在に至っています。

 

 

 

 

室生寺が創建された平安時代初期の文化は、「弘仁(こうにん)・貞観(じょうがん)文化」と称されています。

 

 

 

 

弘仁」は嵯峨(さが)天皇の時代の、「貞観」は清和(せいわ)天皇の時代のそれぞれの年号をとっています。

 

 

 

 

この平安時代初期に、宗教界で大事件が起こりました😲

 

 

 

 

 

最澄(さいちょう)と空海が現れたのです❢❢

 

 

 

 

最澄空海はともに804(延暦23)年遣唐使に従って入唐(にっとう)しています

 

 

 

 

高校学校で使用する日本史教科書には、次のような記述があります。

 

 

 

 

 

平安時代初期、仏教では新たに伝えられた天台宗・真言宗が広まり密教がさかんになった。」

 

 

 

 

密教とは仏教の一派で、「秘密仏教」の意味です。

 

 

 

 

インドで生まれた密教中国に伝えられ、中国から日本に密教を伝えたのが空海でした。

 

 

 

 

空海は、中国唐の都長安の青龍寺で、僧恵果(けいか)から真言密教の全てを伝授されます。

 

 

 

 

密教という当時最先端の宗教を獲得した空海に、最澄が経典の借覧(しゃくらん:書物などを借りて見ること)を申し入れたことで2人の交流が始まります☻

 

 

 

 

しかしのちに両者の関係が悪化し、816(弘仁7)年最澄の弟子である泰範(たいはん)が空海のもとに弟子入りしてしまう事件が起こったため、2人の関係は悪化し、終焉を迎えます😞

 

 

 

 

最澄によって開かれた天台宗も、中国唐での修行を経験した弟子の円仁円珍によって本格的に密教が取り入れられることになります。

 

 

 

 

釈迦(しゃか)の教えを経典から学び、修行して悟りを開こうとする顕教(けんぎょう)に対して、秘密の呪法(じゅほう)の伝授・習得により悟りを開こうとする密教は、加持祈禱(かじ きとう:病気や災難から身を守るために神仏に祈ること)によって災いを避け、幸福を追求する現世利益の面から皇族や貴族たちの支持を獲得します。

 

 

 

 

秘密仏教」を意味する密教は、奈良時代の仏教とは決定的に違う面を持っていました。

 

 

 

 

 

 

それは密教が山中を修行の場とし、山岳の地に伽藍(がらん:寺の建物の総称)を配置したことでした。

 

 

 

 

山中に寺院が建立されるわけですから、堂塔は地勢に応じて形式にとらわれない自由な配置で建てられることになります

 

 

 

 

平地で寺院を建立するのであれば、整然と伽藍を配置することが可能ですが、山中となるとそうはいきません😓

 

 

 

 

密教の影響が広まった平安時代初期に建立された室生寺は、当時の密教建築の代表です。

 

 

 

 

奈良時代とは明らかに異なり、従来の形式にとらわれない、山の地形に合わせた新しい伽藍配置で作られたのです。

 

 

 

 

 

皆さんは修験道(しゅげんどう)という宗教を知っていますか

 

 

 

 

日本古来の山岳信仰(さんがくしんこう:山を信仰の対象として儀礼を行うこと)と平安時代密教が習合して成立した宗教です。

 

 

 

 

修験道における修行者は、山伏(やまぶし)と呼ばれています。

 

 

 

 

密教は、この修験道の源流となっているのです。

 

 

 

 

 

宗教という文化は、当時の政治と密接に関係しています。

 

 

 

 

高校生はどうしても「文化」は「文化」として覚えようとしてしまいます😅

 

 

 

 

しかし文化と政治が深く関係している以上、文化史は文化史、政治史は政治史、という学習方法では双方の関係性に気づかず学習を進めることにもなってしまいます。

 

 

 

 

 

歴史の学習では、様々なつながりに気づくことが大切です。

 

 

 

 

その時代が持つ特質に気づく。

 

 

 

 

歴史の構造を理解しようとする姿勢を身につけることこそ重要なのです。