前回の続きになります😊
③教育制度の改革についてです。
上記の画像は、一般的に何と呼ばれているか知っていますか❓
答えは、「墨塗り教科書」です。
1945(昭和20)年10月、GHQは、教科書の軍事関連部分の削除を指令し、ついで戦争・侵略の積極的推進者を教職から追放する、教職追放を指示します。
そして1945(昭和20)年12月には、「修身(しゅうしん)・日本歴史・地理」の授業が停止されます。
「修身」とは、現在でいう「道徳」に当たります。
戦前の「修身」で子供達に徹底して教え込まれた内容は、儒教道徳と天皇制でした。
私は授業で「修身」と「道徳」の違いを、次のように生徒に説明しています。
「修身」では、日本人としてどのように国家に尽くすのか、そしてこの日本国の国家元首たる天皇のために何ができるのかを学ぶのである、と。
「道徳」では、この日本国家に籍を置く日本人としていかに生きていくか、そして尊厳ある個人として自分の人生をどのように生きていくべきかを学ぶのである、と。
「修身」と「道徳」は、ともに生き方を学ぶ科目ではあるけれども、内容は戦前と戦後とでは大きな隔たりがある、という話を生徒にしています。
こうした「修身」、『古事記』・『日本書紀』の神話を歴史的事実として教えた「日本歴史」、そして台湾や朝鮮半島を日本の領土として教えた「地理」などの科目は、戦前の日本を解体するためにも即刻授業が停止されたのです。
そして、1947(昭和22)年、教育の機会均等・9年間の義務教育・男女共学などをうたった「教育基本法」が制定されます。
同時に「学校教育法」が制定され、六(小学校)・三(中学校)・三(高等学校)・四(大学)制の新しい学校制度を確立させたのです。
また、教育の地方分権を目指し、1948(昭和23)年に教育委員会法が公布され、公選制(選挙で選ぶ)の教育委員会を全国の自治体に設置することになりました。
もう1つ知っておくべき事項があります❢
それは、1948(昭和23)年に「教育勅語」が衆参両院の議決で、法制上失効したことです。
「教育勅語」とは、1890(明治23)年に明治天皇によって発布された戦前教育の方針を示した勅語です。
天皇制(=国体)を国民に植え付ける上で、重要な役割を果たした教育理念でした。
④秘密警察などの廃止についてです。
治安警察法・治安維持法・特別高等警察、この全てが廃止されることになりました。
治安警察法・治安維持法ともに労働・社会運動、反体制運動の弾圧に大きな影響を与えた法律ですが、特別高等警察とはどのような組織だったのでしょうか❓
通称、特高とも称される特別高等警察は、戦前日本の社会運動・言論に対する監視、取り締まりを任務とした組織でした。
一般民衆の生活と思想も監視統制し、敗戦後も活動を続けていたのですが、GHQの指令で廃止、関係者は罷免されています。
国民生活を著しく拘束するこれらの法律・組織は、戦後の民主化政策の妨げになるという理由で、その全てが廃止されたのです。
⑤経済機構の民主化についてです。
授業で「経済の民主化」という単元を扱う際に、高校教師はそもそも「経済の民主化」とは何か❓というところには全く触れずに、すぐ「財閥解体」や「農地改革」について説明してしまう場面をよく見ます😅
生徒は、なぜ「財閥解体」や「農地改革」が必要になるのか、という根本的な理由を理解できているのでしょうか❓
私は授業で、まず簡単に「経済を民主化」するとはどういうことか❓について必ず触れています😐
「経済」はお金💸を意味し、「民主化」とは考え方やシステムなどを、多くの民意が反映するように変えることを意味しています。
つまり、戦前においては労働者も農民も低賃金で貧しく、購買力が小さかったために、資本家は海外に市場を求めざるを得ない状況であった。
「経済を民主化」することで、日本国内にいる多くの人間がお金💸を使える状況を作り出し、国内市場を拡大することが、再び日本が帝国主義化の道を選択しないために必要不可欠である、と考えられたわけです。
ですから、日本経済を支配した財閥と、農民から土地を奪い、農民の財を搾取した地主(寄生地主という)の両方を解体することが重要であるとされたのです。
次回、財閥解体と農地改革の内容を見ていきたいと思います😊