前回の続きになります。
西郷隆盛や板垣退助らが主張した征韓論の真の狙い
について考えてみよう、ということでした。
日本史の教科書には、以下のような記述が掲載されています。
「戊辰(ぼしん)戦争に際して新政府軍に加わった士族(しぞく:明治維新後に旧武士階級に与えられた呼称)の中には、自分たちの主張が新政府に反映されていないことに不満を持つ者が少なくなかった。」
授業において、この問題をどのように深めていけば良いのかを考えてみたいと思います😊
江戸幕府を崩壊させ、近代国家の樹立を目指した明治新政府の政策は、士族たちの目にはどのように映ったのでしょうか❓
明治新政府を樹立したのは、言うまでもなく「旧武士層」でした。
「維新の三傑」に数えられる、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允らは明治維新の最高指導者でしたが、彼らは武士の中でも下層の下級武士層の出身でした。
一口に武士といっても、様々な階級に分かれています。
「維新の三傑」と称される西郷隆盛らは下級武士の出身でしたので、天皇という存在を将軍に代わる新しい権力の主体にすることで、新政権を樹立したのです。
そして、巨大な工業生産力と軍事力を備えた欧米列強による植民地化を回避すべく、明治新政府は近代国家建設に向けて邁進(まいしん)することになります😤
これらの政策は、日本が近代国家になるために必要な政策であったと思われます。
しかし、武士によって構成された明治新政府が実行する政策は、本当に同じ武士である自分たちのためになっているのだろうか❓
との疑問が浮かび始めるのです。
<四民平等>
この政策などは、江戸時代唯一の戦士階級であった武士の身分的特権を奪った政策に他なりませんでした。
確かに、国民皆兵制に基づく近代的軍隊の創設は、近代の戦争を戦う上で必要不可欠な政策でした。
日本の人口のほんの数%程度に過ぎない戦士(武士)だけでは、戦争に勝つことができません。
身分制度を撤廃し、軍隊を構成しうる母体を増やす必要がありました。
こうした考え方は正しいものであったと思われますが、江戸時代を通じて特権階級であった武士の立場からすれば、不満の残る政策であったはずです。
さらにのちには、武士の経済的特権【家禄(かろく:武士の給料)を受けとる権利のこと】や身分的特権(帯刀する権利のこと)が奪われていくことになります。
江戸時代に特権階級であった武士は、同じ武士によって解体されたのでした。
武士の不平・不満は明治新政府への武力をともなった反乱につながり、そして内乱に発展する可能性を秘めています。
何といっても武士は江戸時代を通して、唯一の戦士階級であったわけですから。
もし士族の反乱が勃発して内乱に発展してしまったら、欧米列強は日本に対してどのような印象を持つのでしょうか❓
明治新政府は日本国内の秩序安定を図ることすらできない政権なのか…
このように見られてしまった場合、欧米列強から低い評価が下されることになり、幕末以来の懸案事項である不平等条約の改正もままならなくなってしまいます😨
「世界の中の日本」を意識せざるを得なかった西郷隆盛らの留守政府は、士族の不満を明治新政府にではなく、別なもの(ここでは朝鮮)に向けさせることが急務であったわけです。
このような情勢が、留守政府首脳であった西郷隆盛や板垣退助らに、征韓論を唱えさせる契機になったと考えられるわけです。
つまり留守政府首脳が唱えた征韓論の狙いとは、朝鮮の開国問題を持ち出すことで、明治新政府に対する不満をそらすことにあった、と考えられるわけです。
しかし、岩倉具視らがヨーロッパから帰国し、西郷隆盛ら留守政府に主導権を握られることを嫌った大久保利通・木戸孝允らの強い反対にあい、西郷隆盛の朝鮮派遣が見送られることになります🚢
征韓論が否決されると、西郷隆盛や板垣退助らは政府を去っていきます。
これを明治六年の政変といいます。
こののち、士族の不満を背景にして、2つの反政府運動が展開されていきます。
1つは、不平士族による「武力をともなった反乱」です。
もう1つは、不平士族による「言論に基づいた政府批判」です。
武力による反乱は、西郷隆盛の自刃によって幕を閉じた西南戦争を最後に終結します。
そして言論に基づいた政府批判は、国会開設という形で結実することになります。
朝鮮を武力を背景に開国させるという強引な方針は、国内における士族の不満、反政府の動きに対する対応でした。
明治新政府の権力が未だ不安定な明治初期にあって、武士の不満が明治新政府に向くことは、権力者にとって大変な恐怖だったというわけです。
歴史には、表面的な事実だけでは決して見えない真実が隠されています。
その真実を追求していこうとする思考力・探求心こそが、これから求められる真の学力ではないだろうか、と私は考えています。
私たち教師は、テストで点数を取らせるといった目先の指導ではなく、これから生きていく上で必要とされる、真の学力としての「生きる力」の育成に力を注ぐべきである、と強く感じています。