突然ですが、上記の9文字を読むことができますか😊❓
読み方は、「おわりのくに ぐんじひゃくしょうら げ」になります。
これはどのような史料かと言うと、988(永延2)年に尾張国(現在の愛知県)の郡司と有力百姓らが、実務をとる国司の最高責任者である受領(ずりょう)の藤原元命(ふじわらのもとなが)を朝廷に告訴し、その解任を求めた上申状です。
31箇条にわたり国司の非法を訴えたこの訴状は、10世紀末における地方政治の状況を伝える、大変に高い価値を有した史料になります☻
この時代は、人から税を徴収するシステムが崩壊し、朝廷は国司に大きな権限を与えて地方を支配させることで、歳入減の状況に歯止めをかけようとしました。
朝廷の目的は、何といっても国家財政の安定にありました。
国司は朝廷に一定額の納税さえ行えば、それ以外の収益は全て自分のものとなりました😲
藤原元命も受領として、税の算定基準を高く見積もり大幅な課税を行ったり、百姓に未進が残っていると厳しく追及するなど、私腹を肥やすことに躍起になっていたのです😓
この「解(げ)」というのは、下位にある役所から、上位の役所に出す文書のことで、この反対が「符(ふ)」になります。
上位の役所→ 符 →下位の役所
上位の役所← 解 ←下位の役所
この知識は、大学入試において必須事項になります😊
「日本史の考え方」でも何度か国司に関する説明をしていますが、ここでもう少し国司についての説明をします。
国司は四等官【守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)】に原則分かれているのですが、国の大・上・中・下の等級に応じて四等官の人数が異なります。
例えば、大国には「守・介・大掾・少掾・大目・少目」が各一人おり、合計6名の国司が配属されます😲
ところが、下国には「守・目」各一人の合計2名の国司しか配属されません😓
尾張国は「上国」に分類されていましたので、「守・介・掾・目」各一人の合計4名の国司が配属されることになっていました。
ある大学の入試問題に、次のような問題があったのを記憶しています。
歴史を深めるのに、大変面白い問題ですので、是非考えてみたいと思います☻
「尾張国郡司百姓等解に見られるように、国司の下で地方支配の一端を担うはずの郡司が、有力百姓らとともに朝廷に対して国司の非法を訴えたのは、なぜなのか❓」
なかなか面白い問いだと思いませんか❓
郡司は地方官として、その地方に住む伝統的な大豪族が任命されました。
そして郡司は国司とともに民衆の支配を行うべき存在であるにもかかわらず、どうして企業で言えば上司にあたる国司を朝廷に訴えるといった行動を取ったのか説明しなさい、ということです。
国司と郡司はともに地方官として、民衆支配を行う立場にありましたが、両者の性格にはかなりの違いが存在していました。
この違いについて、教科書等の記述を見てみたいと思います。
<国司>
任期は初め6年でしたが、のち4年になります。
中央貴族が都より派遣され、国衙(こくが:現在の県庁にあたる)を拠点に国内統治にあたりました。
<郡司>
中央から派遣された国司のもとで郡を治めた地方官です。
ヤマト政権下の国造(くにのみやつこ)などの伝統的な地方豪族から任命され、終身世襲の官職でした。
国司と郡司、両者の違いに気づきましたか❓❓
大切な事項は、2つあります。
1つ目は、国司には任期がありますが、郡司には任期がない、ということ。
2つ目は、国司は中央から貴族が派遣されてきますが、郡司は現地採用の豪族である、ということ。
この両者の大きな違いが、郡司が国司を告訴することと深く関係しているのです。
一体どういうことなのか、わかりますか❓
続きは次回にしたいと思います😊
是非、考えてみて下さい✋