前回の続きになります。
井伊直弼の暗殺と、攘夷運動の激化との関連性に注目してみましょう、
ということでした。
先ず、ここで考えたいことは、当時の世界情勢についてです。
18世紀後半、イギリスで最初の産業革命が始まり、工業化の波は欧米諸国に広がっていきます。
工業生産力と軍事力を備えた欧米諸国は、市場や原料供給地を求めて、植民地獲得に乗り出し、日本が位置するアジアへの進出を本格化させます🚢
アメリカは、中国市場進出のための太平洋横断航路開設および北太平洋の捕鯨業🐋隆盛による捕鯨船の寄港地のため、日本に強く開国を求めます❢
1854(安政元)年、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが7隻の艦隊🚢を率いて、その軍事的圧力のもと、江戸幕府と日米和親条約を締結します。
そして日本を開国させたアメリカは、通商条約の締結を目指します。
日本との貿易開始によって利益を獲得したいアメリカは、通商条約の締結を強く日本に迫ります。
海外との外交政策は全て幕府の独断で行っていたのですが、通商条約の調印に関しては、天皇の勅許(ちょっきょ:天皇の許可)を得ようとします。
しかし、攘夷論者であった孝明(こうめい)天皇の勅許は得られず、大老の井伊直弼は勅許を得られないまま、アメリカと通商条約の調印を断行したのです。
私はここで、生徒に質問を投げかけます😊
『歴史に「もし」はないのかも知れませんが、もし、江戸幕府が通商条約の調印を拒否していたらどうなっていたと思いますか❓❓』と。
やはりここでは、アヘン戦争の影響について考えて欲しいと思います。
アヘン戦争とは、1840年~1842年に起きた中国とイギリスによる戦争です。
中国茶の需要増大で*輸入超過に陥ったイギリスは、18世紀末から植民地であったインド産アヘンを中国へ非合法輸出します。
アヘンは麻薬ですから、中国でアヘンの中毒患者が増加し、さらにはアヘンの支払いのために銀が流出するなど、深刻な事態を招くことになりました😨
そこで中国はアヘン貿易を拒否しようとしたのですが、これに対してイギリスは軍事行動を開始し、中国を屈服させました。
この歴史的事件が、日本に大きな衝撃を与えたのです❢❢
つまり❢❢
日本が列強の求める通商条約の調印を拒否した場合、中国の二の舞になる可能性がある、ということです。
ですから、井伊直弼の通商条約調印という判断は、当時の世界情勢から見て間違った判断であったとは決して言えないはずなのです。
しかし、1859(安政6)年から横浜・長崎・箱館【1869(明治2)年より函館に改称】で始まった貿易は、大幅な*輸出超過となったのです。
*輸出超過とは…輸入額<輸出額⇒貿易黒字の状態
輸出品が大幅に増えることで、国内では品不足に陥ります。
品不足は物価の上昇につながります💸
現代でもそうですが、物価の上昇は庶民の生活を圧迫します😨
輸出品の中心は、生糸でした。
生糸は輸出品の約80%を占めていました。
明治政府は輸出振興政策として、蚕(かいこ)のつくる繭(まゆ)から生糸を製造する製糸業を保護育成するのです。
井伊直弼によって調印された通商条約によって開始された貿易によって、庶民の生活は著しく苦しいものになりました。
貿易の開始を認めた幕府や、貿易に関わる外国人商人に対する不満が高まることになります。
ただ、物価上昇の原因はまだ他にもあったのですが、皆さんはどう考えますか❓
この続きは次回にしたいと思います。