突然ですが、上記紙幣に描かれている人物を知っていますか☻❓
日本銀行🏦のホームページを見ると、上記紙幣は「1986(昭和61)年1月4日発行停止」となっています。
ですから今の中学生や高校生で、実際にこの紙幣を見たことがある人は少ないのではないでしょうか😅
紙幣に描かれた人物は、「伊藤博文」です。
伊藤博文と言えば、1885(明治18)年、近代的内閣制度の確立に尽力して、日本の初代内閣総理大臣に就任した人物として有名です。
また、1889(明治22)年2月11日、大日本帝国憲法が発布されますが、憲法案起草の中心として立憲国家樹立に尽力しています。
以前、ある難関大学の入試問題で、次のような問題がありました。
「超然主義(ちょうぜんしゅぎ)の立場にあった伊藤博文が、のちに政党を結成し、自ら政党の党首として内閣を率いている。なぜ伊藤博文はそのような動きをとったのか。」
先ず、超然主義とは、政府は常に一定の方向を取り、超然として政党の外に立つ、というもので、政府の政策は政党によって左右されるものではない、という姿勢のことです。
明治政府の政治運営の基本姿勢は、この超然主義という考え方です。
伊藤博文も同様の考え方を演説で述べたことあります。
しかし❢
伊藤博文は1900(明治33)年に「立憲政友会」という政党を結党します。
この伊藤博文の心変わりには、どのような理由があるのか❓
ということです。
この問題の要点は、明治政府が政治運営にあたる際に、選挙によって当選した衆議院の多数党の意向を無視することができなかった、というところにあります。
ですから、伊藤博文は自らで政党結成に動き出し、議会運営を円滑に進めようとしたわけです。
「衆議院」について、簡潔に説明します。
大日本帝国憲法と同時に公布された衆議院議員選挙法では、選挙人は満25歳以上の男性で、一定額以上の直接国税(所得税や地租など)納税者に限定されていました。
そのため、有権者は当初、全人口の1.1%程度しか存在しませんでした😲
被選挙人は満30歳以上の男性で、納税資格は選挙人と同じでした。
大学入試においては、必須の知識事項になります😊
そして、1925(大正14)年、普通選挙法が成立し、「男性普通選挙」が実施されることになり、納税額による制限が撤廃されることになります。
女性参政権は、戦後(第二次世界大戦後)のことです😓
では、衆議院はどのような権限を保持していたのでしょうか❓
ここで知っておかなければならないことは、大日本帝国憲法下の議会(帝国議会と呼ぶ)は、衆議院と貴族院(現在の参議院)とから成っていたということです。
そして、この両院は対等の権限を有していました☻
しかし、大日本帝国憲法の第65条「予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ」とある通り、予算先議権は衆議院にありました。
さらに、注目しなければならないのが、大日本帝国憲法の第37条と第64条になり
ます。
第37条
凡(すべ)テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス
第64条
国家ノ歳出歳入ハ毎年予算ヲ以テ帝国議会ノ協賛を経ヘシ
衆議院の権限は、確かに貴族院の存在によって制限されている面はあったのですが、議会の同意がなければ法律や予算が成立することはなかったため、政府は議会(特に衆議院)の重要性を強く認識し、政府と政党との間で妥協がはかられるようになります。
政党の政治的影響力がしだいに増大していくことになるのです。
政府が政党の意向を無視して政策を実行することは、難しかったのです。
そのため、伊藤博文は政府系政党を自ら結成して、議会運営の円滑化をはかろうと企図したのです。
このように考えてくると、伊藤博文が「なぜ」自ら政党の結成に動く必要があったのかを理解することができます。
逆に言えば、このように考えてみなければ、伊藤博文がなぜ立憲政友会を結成する必要があったのか❓を理解することができない、ということでもあります。
歴史教育で大切なのは「なぜ」という問いです。
「なぜ」という問いこそが、人間が持つ知的好奇心を呼び起こすのだと私は思います。