前回の続きになります。
「明治政府は、どのようにして義務教育期間の授業料廃止に必要とされる財源を確保したのか❓」
ということでした。
その際に、1900(明治33)年に義務教育期間の授業料が廃止されたことに注目
してみましょう☻
ということにも触れました。
多くの読者のみなさんが気づいていると思いますが、
1894(明治27)年に勃発した日清戦争を思い出さなければなりません。
日本は清との戦争に勝利し、1895(明治28)年に調印された下関条約において、戦争の賠償金として「2億両(テール)」を獲得することになります。
ちなみに、日清戦争の講和会議は、山口県下関市にある「春帆楼(しゅんぱんろう)」で開かれています。
「春帆楼」は、日本のふぐ料理公許第一号の老舗ふぐ料理店です。
現在でも営業しており、タブレットなどで生徒達にお店のホームページなどを検索させてみるのも楽しいのではないかと思います。
ホームページには、下関条約に関する記事もあります。
話を元に戻しますが、この「2億両(テール)」は、日本円で約3億1100万円。
日清戦争の戦費は約2億円余りで、当時の国家歳入の約2倍強と言われましたので、この3億円強という賠償金は、当時の日本にとって莫大な金額でした😲
日本は下関条約で、旅順・大連などが位置する遼東半島を割譲されたわけですが、ロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉を受けて、遼東半島を返還しました。
遼東半島の還付金「3000万両(テール)」、日本円で約4500万円を受領します。
日清戦争の賠償金と遼東半島の還付金を合わせて、「約3億6000万円」。
明治政府はこの莫大な賠償金の多くを軍備拡張に割きます。
のちの日露戦争が想定されているわけです。
高等学校で使用する図説などには、「下関条約で得た賠償金の使途」のグラフが掲載されています。
グラフを見ると、軍備拡張費に60%以上が使われています😲❢❢
また当時の日本は、軍艦・兵器素材、鉄道用品、一般鋼材などの生産に必要不可欠な「鉄」の国産化が急務でした。
日本政府は、機械・技術はドイツに依存、原料の鉄鉱石は中国・朝鮮に依存する形で、1901(明治34)年、官営八幡製鉄所が営業を開始します。
八幡製鉄所創立費に、下関条約で得た賠償金の一部が充てられていますが、全体のわずか0.1%にとどまっています。
何だかとても意外な印象を受けます😅
「下関条約で得た賠償金の使途」をよく見ると、【教育基金・災害準備費】に全体の5.5%が割かれています。
つまり❢
義務教育期間の授業料無償化の財源は、「日清戦争で得た賠償金の一部」であったことがわかります。
なお、中国(清)はこの莫大な賠償金を支払うために、ヨーロッパ列強諸国(イギリス・ロシア・ドイツ・フランス)から借金しています。
そして日本はこの賠償金を、英貨ポンド💸で受領します。
このポンド金貨を準備金にして、金本位制(きんほんいせい)を確立します。
金本位制については、また別の機会にお話したいと思います。
このように見てくると、様々な政策の実現には、当然ですが財源が必要となります。
このことは現代でも同様です。
私たち国民にとって必要不可欠な政策が実現されるためにも、教師として租税に関する指導は生徒たちにしっかりする必要があります。
現在の日本国家の歳入の半分は「租税」です。
租税教育を通して、未来の日本を考えさせたいものです。
歴史は本当に奥が深いものです。
歴史を通して様々な分野についての思考を深めさせたい。
私はそう思っています。