今回は、「8世紀」における日本と中国()・新羅(しらぎ)の関係に注目してみたいと思います。

 

 

授業で奈良時代を扱っていると、必ず教科書に、

 

 

8世紀以降、新羅との関係が悪化する」との記述を目にすることになります。

 

 

なぜ、日本と新羅の関係は険悪(けんあく)なものになってしまうのでしょうか😅❓❓

 

 

 

このことを考えるために、まず日本と(中国)の関係についてみてみたいと思います。

 

 

 

 

日本は8世紀に入ってすぐに、歴史的な国家事業を完成させます❢❢

 

 

701(大宝元)年大宝律令が完成するのです。

 

 

 

日本ではそれまで、

 

 

天智天皇によって「近江令(おうみりょう)」(完成を疑う説あり)が定められ、

 

天武天皇によって「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」の編纂が始められますが、天武の発病・死去の影響で編纂が遅れ、皇后の持統天皇の時代に完成しています。

 

 

これらを見てもわかる通り、「」は編纂されていますが、「」と「」がともに揃ったものはなく、大宝律令が初めてになるのです。

 

まさに歴史的な国家事業と言えます

 

 

 

この大宝律令編纂の中心人物が、刑部(おさかべ)親王藤原不比等(ふひと)です。

 

 

刑部親王天武天皇の子で、672年の「壬申の乱」では父に従い活躍しています。

 

 

藤原不比等は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)の「次男」です。

 

この「次男」に関しては、難関大学で以前出題されたことがあります😅

 

鎌足が賜った藤原姓を唯一継承し、興福寺を建立したことでも知られています。

 

 

 

大津透 『日本古代史を学ぶ』 岩波書店 2009年

 

 

に書かれていますが、日本の律令法の特色は、継受法であること、の法律を輸入してそれに修正を加えて作り上げた点にあります。

 

 

つまり、日本社会の自律的な発展の中から生まれた法ではない、ということである。

 

 

と、大津透先生は著書の中で述べています。

 

 

そして中国には独自の世界観がありました。

 

 

それが「中華思想」です。

 

 

 

この「中華思想」とは、

 

 

中国が世界の中心であり、その頂点に皇帝が存在している。

 

 

皇帝は、天帝という最高神の命令(これを天命という)を受けて、世界を統治している。

 

 

そしてこの世界は、天帝の下という意味で天下と呼ばれる。

 

 

皇帝の大きな仕事の1つが、皇帝の持つ「」を天下の隅々まで広げることにあります。

 

 

ですから、遠路はるばる皇帝のもとにやってきた国の使者を歓迎し、喜んで官職を授けることになるわけです。

 

 

こうして、皇帝の「」は少しずつ未開の地にまで及んでいくのです。

 

 

 

日本は、この中国を国家モデルとして国家建設を行います。

 

 

中華思想と中国律令法を導入した日本は、中国同様、周辺国を「外蕃」・「蕃国」と呼び、野蛮な国として扱うことになります。

 

 

そして日本の天皇の「徳」を、天下の隅々にまで広げようとするのです。

 

 

しかし、さすがに中国を「蕃国」とは呼べず、「隣国」とも称しています。

 

 

そして高等学校で使用する日本史教科書にも書かれてある通り、

 

 

日本からの遣唐使は、8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。」のでした。

 

 

つまり

 

 

生徒からの挑戦状3「遣唐使とは何か」

 

 

でも触れましたが、遣唐使は朝貢使です。

 

 

当時の日本は正式な冊封体制(さくほうたいせい)の下にあったわけではありませんでしたが、東アジアには中国を頂点とした国際秩序が形成されており、日本もこれに従わざるを得なかったのです😓

 

 

日本がいくら中国同様の考え方を導入したとしても、実際は中国皇帝に臣下の礼をとるしかなかったわけで、決して中国と対等な関係にはなり得なかったのです。

 

 

ちなみに冊封体制とは、

 

 

中国の皇帝が、国際的秩序を維持するために、周辺異民族の首長に爵位や官職を授けて、君臣関係を結んだ外交政策のことです。

 

 

日本は中国をモデルとして国家建設を行ったわけですから、中国や新羅を従属国・朝貢国として扱おうとしたのは当然のことでした。

 

 

しかし先ほども述べたように、日本国内では中国を「蕃国」と扱うことはできても、実際は中国に朝貢使を派遣して臣下の礼をとるなど、日本にとっていかに中国が偉大であったかをうかがい知ることができます。

 

 

 

では、日本は新羅に対してはどのような態度をとったのでしょうか❓❓

 

 

この続きは、次回にしたいと思います。

 

 

読者の皆さんも、是非考えてみて下さい。