前回の続きになります。
マリアナ諸島のサイパン島陥落によって、アメリカ軍には「何が可能になった」のか❓
ということでした。
高等学校で使用する日本史の教科書には、次のような記述があります。
「1944(昭和19)年後半以降、サイパン島の基地から飛来する米軍機による本土空襲が激化した。」と
ここで、アメリカ軍の「B29」について触れておく必要があります。
「B29」は、アメリカの航空機メーカーである「ボーイング社」が開発した爆撃機です。
1944(昭和19)年に完成すると、直ちに対日戦略爆撃用に使用されることになります。
アメリカ軍が日本からマリアナ諸島を奪取すると、サイパン島から「B29」が飛来したのです。
航続距離も、爆弾搭載時で約5300㎞。
マリアナ諸島から日本本土までの距離が、約2400㎞。
この数字から分かるように、
マリアナ諸島という場所は、ここから飛び立った「B29」が日本本土を空襲爆撃した後に、戻ってくることが可能な地。
ということになるわけです。
このサイパン島陥落が、どれ程の衝撃を日本政府に与えたかは、東条英機がサイパン島陥落の9日後に総辞職している事実からもよくわかります。
1944(昭和19)年10月、戦争の舞台はいよいよフィリピンに移ります。
アジア・太平洋戦争が開始されてわずか半年の間に、日本軍は広大な地域を支配下に収めます。
その中の1つが、アメリカ領のフィリピンでした。
日本軍がフィリピンを攻撃した際、アメリカ大統領ローズヴェルトの命令でフィリピンを脱出し、オーストラリアへ逃げ延びた有名なアメリカ軍人がいます。
その人の名は、マッカーサーです。
マッカーサーはフィリピンを脱出する際に、ある言葉を口にしています。
「I shall return(私は必ず戻ってくる)」
そして後にこの言葉通り、マッカーサーはフィリピンに戻ってくるのです。
マッカーサー率いるアメリカ軍は圧倒的な軍事力で、フィリピンの奪回に動き出します。
フィリピン東方海上で、日米両軍による海🚢空🛫戦が展開されました。
世に言う「レイテ沖海戦」です。
日本側は戦艦武蔵(むさし)など、多くの艦船と多数の航空機を失い、日本海軍は壊滅的打撃を受けることになります。
戦艦武蔵は、大和型戦艦(やまとがたせんかん)と呼ばれた戦艦の1つです。
大和型戦艦とは、旧日本海軍の戦艦であり、超大型で世界最大の戦艦です😲
アメリカが建造した戦艦に比べ攻防力ともに優れており、戦艦時代最後の傑作と言われています。
しかし❢
日本海軍は、「マリアナ沖海戦」・「レイテ沖海戦」で壊滅的打撃を受け、その後の組織的な作戦能力を失うことになります。
そして、その後の日本海軍は人間性を無視した攻撃の形を実行に移す…。
「神風特別攻撃隊」
第一航空艦隊司令長官であった大西滝治郎(おおにし たきじろう)によって創始された攻撃隊。
一般的な辞書には、日本の敗戦までに2500人以上の軍人が戦死した、と記述されています。
アメリカ軍は、1945(昭和20)年3月に硫黄島(いおうじま)を占領。
4月にはついに沖縄本島に上陸します。
歴史は冷静に過去を語ります。
歴史は過去から未来を思考する学問です。
是非とも、中学生・高校生には辛く悲しい歴史であっても、触れさせ、考えさせなければならない学問である、と私は思っています。