東条英機(とうじょう ひでき)という陸軍軍人を知っていますか❓
東条英機と言えば、『戦陣訓(せんじんくん)』で有名かも知れません。
1941(昭和16)年1月、陸軍大臣であった東条英機は、全陸軍に対して軍人としてのあるべき姿についての教えを説きます。
その中の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」との教えは、降伏を理念的に否定しており、そのために多くの将兵が無益な死を強いられることとなった。
とされています。
その後、内大臣(ないだいじん:天皇を補佐する宮中の官職)であった木戸幸一(きど こういち:木戸孝允の孫)らの推薦を受けて、1941(昭和16)年10月に首相となり、その後内閣を組閣してアジア・太平洋戦争に突入していくことになります。
そして、1944(昭和19)年7月、「あること」の責任を取る形で、総辞職します。
日本の敗戦後、A級戦犯(戦略戦争を計画・実行して「平和に対する罪」を犯した人)として逮捕直前にピストル自殺を図りましたが失敗し、極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)の判決により、1948(昭和23)年に死刑に処せられました。
今日のお話では、東条英機の政策が正しかったのか否か、ということを論じるのではなく、東条英機内閣が総辞職に追い込まれた「あること」の意味について考えてみたいと思います。
ここでは、高等学校で使用する教科書並びに、
「加藤陽子 『とめられなかった戦争』 文春文庫 2017年」
を参考に、思考を深めていきたいと思います。
この「あること」について、教科書にはこのように記載されています。
「1944(昭和19)年7月、マリアナ諸島のサイパン島の陥落により、絶対国防圏の一角が崩壊した。その責任を負う形で東条内閣は総辞職した。」と。
「マリアナ諸島」とは、南北に弧を描いて連なる15の島々の総称です。
そして、マリアナ諸島は、所属が2つに分かれています。
南端のグアム島は、アメリカ合衆国領。
その北の14の島々は、アメリカ合衆国の自治領「北マリアナ諸島連邦」です。
なぜ、このように所属が異なるのでしょうか😅❓
マリアナ諸島は、16世紀の大航海時代以来、スペインに領有されていました。
それが、1898(明治31)年のアメリカ・スペインとの戦争でスペインが敗れた結果、フィリピンとともに、マリアナ諸島の1つの島「グアム島」がアメリカに割譲されました。
その他の14の島々は、1899(明治32)年に、スペインからドイツに売却されてドイツ領となります。
しかし❢
そのドイツが第一次世界大戦で敗戦国になります。
第一次世界大戦後に設立された国際連盟は、ドイツが領有していた地域の統治を戦勝国に委任する方針を打ち出します。
日本は戦勝国として、グアムを除くマリアナ諸島・カロリン諸島・マーシャル諸島・パラオ諸島などの統治を委任されることになったのです。
そして、日本は委任統治領となった旧ドイツ領南洋諸島の統治を行うために、「南洋庁」という行政機関を設置します。
南洋庁の本庁は、パラオ諸島のコロール島に設置されました。
マリアナ諸島は、日本の統治下になってから「製糖」という産業が盛んになります。
そして、沖縄からの移民も多く、さらには、硫黄島・小笠原諸島・伊豆諸島がほぼ一直線上に連なり、その先には東京が位置するという、戦略上重要な位置にありました。
マリアナ諸島の主島であるサイパン島は、軍事拠点として重要な島であったのです。
それでは「絶対国防圏」とは、一体どういうものなのでしょうか。
この続きは、次回にしたいと思います。