前回のお話の続きになります。
明治政府が作り上げた軍事制度についてです。
私は授業で「近代の軍隊制度」を扱う際に、必ず生徒に聞く質問があります。
それは、
「なぜ明治政府は、四民平等の世を作ったのでしょうか?」
ということです。
明治政府は、「藩主や公家を華族」・「藩士や幕臣を士族」・「百姓や町人を平民」として、四民平等の世を作ることを推進しました。
この明治政府の政策を、近代軍隊のあり方と関連づけて考えてみます。
近代の軍隊は、戦争に動員される、例えば兵士100人であれば、その100人が上官の命令によって、周到に準備された作戦を着実に遂行していく。
同じ小銃を持って、できるかぎり均質な兵力として戦場に出ていく。
江戸時代の武士の家禄(給与のこと)は、幕府や藩に対する軍事的負担と正比例の関係にありました。
つまり、石高や家禄が多ければ多い程、負担が重くなるわけです。
しかし、近代の戦争においては、戦場で作戦に基づいて同じ動きをしなければならない。
家禄などの違いで戦場における負担が異なるのでは、作戦遂行がうまくいかず、結果戦争に負けてしまうことになります😨
ですから、江戸時代の武士のあり方は、近代の戦争を遂行する上で、障害以外の何物でもないわけです。
さらに、前回お話したように、武士は全人口の6~7%程度「しか」いませんでした。
つまり戦闘員となる人が少ないのです。
優秀で均質な軍隊を作るには、軍隊候補となるべき人数を大幅に増やし、彼らに徹底した軍事訓練を通して、高い技術を持った軍人を育てたい。
このように考えるのが、近代です。
1872(明治5)年、明治国家は「徴兵告諭」を出します。
告諭には次のような文言があります。
「…海陸二軍ヲ備へ、全国四民、男子二十歳ニ至ル者ハ、尽ク兵籍ニ編入シ、以テ緩急ノ用ニ備フベシ…」(『法令全書』)
明治政府は国民皆兵制に基づき、士族・平民の区別なく、満20歳に達した男性から選抜して3年間の兵役を義務付けました。
これが近代の軍事制度です。
武士の「戦士としての権利」をはく奪し、また平民が持つ労働力を奪ってまで、兵士候補生の母体数を増やし、対外戦争に耐えうる優秀な軍事力を構築する。
こうやって、江戸時代に唯一の戦士として存在した武士は、同じ武士が作った政権である明治国家に切り捨てられることになったのです。
江戸時代と明治時代以降では、「軍事」に対する考え方が違います。
「対外戦争」というものを意識するかしないか。
この差は軍事「制度」を作る時に、大きな違いとなって表れてきます。
授業では、近世(江戸時代)と近代(明治時代以降)様々な違いを、中学生・高校生に是非考えさせたいものです。
歴史は思考を深めてくれます。