前回のお話の続きになります。

 

 

欽定憲法の対義となる憲法は、何と呼ばれるのか

 

ということでした。

 

 

 

答えは、民定(みんてい)憲法です。

 

 

民定憲法とは、国民主権の原則に基づき、国民が憲法を成立させ、かつこの憲法を支える最終的権威であるとの前提に立つ憲法を言います。

 

 

この「日本国憲法」は、

 

1946(昭和21)年11月3日に公布され、1947(昭和22)年5月3日に施行されました。

 

 

5月3日」は、「憲法記念日」。

 

日本国憲法の施行を記念する日です。

 

 

では、「11月3日」は❓

 

現在では、「文化の日」です。

 

文化勲章の授与、文化功労者の表彰などが行われています。

 

 

しかし、第二次世界大戦前は、「天長節(てんちょうせつ)」でした。

 

 

天長節😶

 

 

天長節」とは、

 

 

戦前の祝祭日の一つで、天皇誕生日を祝う日のことです。11月3日明治天皇の誕生日でした。のち、明治天皇の誕生日は「明治節(めいじせつ)」とされ、明治天皇の功績をたたえる日となりました。

 

 

前回お話した「紀元節」同様、戦前の日本臣民統合に大きな役割を果たすこととなりました。

 

少し話がそれましたが、授業で日本国憲法を扱うと、高校生の中には、

 

民定憲法とは言いながら、この憲法はアメリカが作って日本に押し付けたものなのですよね…」

 

といった考えを持つ生徒が若干名います。

 

中学校や学習塾などで、先生から教わったのでしょうか😅

 

 

しかし

 

 

高等学校で使用する教科書には、以下の内容の説明がなされています。

 

 

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、英文の改正草案(これは、マッカーサー草案と呼ばれてます)を作成して、日本政府に提示した。日本政府は、これに修正を加えたものを政府原案として発表した。

 

 

教科書の記述にあるように、確かにマッカーサー草案は「日本国憲法」成立に極めて重要な意義を持ってはいますが、最終的には日本政府がしっかりと内容を決定しています。

 

しかもこのマッカーサー草案は、民間の憲法研究会が発表した「憲法草案要綱」も参照しており、当時の日本の知識人の考え方もしっかり含まれていました。

 

 

このあたりの知識は、難関大学受験の際に必要となってくる知識になります。

 

 

繰り返しになりますが、マッカーサー草案がそのまま新憲法になったのではなく、日本政府案が作成され、議会の審議の過程で追加・修正されたのです。

 

 

例えば、マッカーサー草案では国会は衆議院の一院制でしたが、日本政府の要請で参議院を加えて二院制となって、現在に至っています。

 

 

日本国憲法」は確かにアメリカ憲法の影響を多く受けてはいるが、当時の日本政府を始めとする日本人の考え方もしっかり盛り込まれている

 

という事実をクラス全員で確認したところで、必ず次の質問を生徒にすることにしています。

 

「この日本国憲法を尊重し擁護(ようご)する義務を負っているのは誰ですか❓」

 

 

優しく言うと、日本国憲法に書かれた内容をしっかりと守らなければならない人は誰ですか

 

ということです。

 

 

授業で生徒達に話し合わせて、答えを述べさせます。

 

ほとんどの生徒が「見事に」間違ってくれます😅

 

 

読者の皆様は、どのようにお考えになられますか?

 

 

この続きは、次回とさせていただきたいと存じます。