前回の続きになります。

 

自由党土佐派土佐(現在の高知県)出身の議員}は、なぜ政府が提出した予算案に賛成票を投じたのかを、当時の国際情勢の中で考えてみましょう

 

ということでした

 

 

自由党民党と呼ばれ、自由民権運動を展開していた勢力でした。

 

ですから政府には徹底抗戦の姿勢だったはずです😠

 

 

自由党土佐派動きをどのように考えるべきなのでしょうか…。

 

 

ここでは、

 

佐々木克 日本の歴史⑰『日本近代の出発』集英社1992年

 

を参考に、この問題に対する解答を考えます。

 

 

立憲自由党党首の板垣退助

立憲改進党党首の大隈重信

 

 

彼らはもともと政府にいた人間でした。

 

その後の政局の中で政府を去り、反政府運動を展開する。

 

私たちにはそのように見えるわけです。

 

教科書を読んでも、そのように読み取ることができます。

 

 

しかし

 

 

日本国の立場を国際的に向上させたい

 

という思いは、政府も、そして政府を去った人間も共通に持っていた

 

 

つまり、このように考えたいわけです。

 

 

日本は東アジアで最初に憲法を制定し、議会が開催された国家でした。

 

ですが、諸外国の中には、議会が無事に運営されるかどうか、疑問視する人々が大勢いたのです。

 

 

ここまで考えてくると、自由党土佐派の動きには重要な意味があったことが推察されます。

 

政府も議会も、最初の帝国議会を無事に終了させなければならない

 

との共通の思いがあったのです。

 

それこそが日本国の国際関係上の地位を向上させ、諸外国からの信用を獲得し、さらに条約改正交渉を有利に進めることにつながる

 

 

江戸時代末期、徳川幕府は諸外国と不平等な条約を結んでいました😨

 

日本国の国際上の地位が向上しない限り、欧米諸国は条約改正交渉に応じてはくれない

 

日本国はいつまでたっても、欧米諸国と対等の立場に立つことができない

 

 

自由党土佐派には、上記のような世界をみる目がありました。

 

政府を批判しているだけでは、欧米諸国に日本国は議会運営能力がない、と映る。

 

日本国に対する評価が低くては、その後の日本国の在り方に支障が出る…。

 

ここはまず政府に協力することで、欧米諸国からの評価を高める必要がある。

 

 

 

高校生には、グループワークなどを通して、ここまで考えてもらいたいのです。

 

大学受験レベルよりもはるかに難問、と言えると思います。

 

しかし、歴史を学ぶことを通して、生徒たちの思考をさらに深めさせたい、と私は考えています。

 

読者の皆様は、どのようなご感想をお持ちでしょうか。