第6回目は、「浄土教の流行」について考えてみたいと思います。

 

突然ですが…

 

このブログをお読みいただいている方の中で、悩みなど何一つ抱えていないという方はいらっしゃいますか❔ 

 

恐らくいないのではないか、と思われます。

 

人間は、「悩み」や「不安」から決して逃れられないのかも知れません…。

 

しかし

 

やはり、悩みなどから解放されて、この世で幸せに暮らしたいと願うのが人間ではないでしょうか。つまり「現世利益」(げんぜりやく)を望むわけです。

 

そしてこのような思いは、平安という時代を生きた貴族たちにもあったのです。

 

 

10世紀以降、新しい方法でこの世(=現世)の苦しみから逃れようとする教えが説かれるようになります。浄土教の登場です。

 

浄土教とは、現世利益を追求するのではなく、浄土(=仏の住む苦しみのない世界)への往生(=浄土に生まれること)を求めることで、現世の苦しみから逃れることを説く教えなのです。

 

往生とは「死ぬ」ことですが、仏教用語では、「現世を去って仏が住む穢れ(けがれ)のない世界に生まれ変わる」ことを意味しています。

 

なぜ、浄土教は10世紀以降に流行することになるのでしょうか

 

平安京での疫病(えきびょう)流行などを背景に、9世紀後半から地獄・極楽といった考え方が貴族の社会に浸透し始めたといいます。

極楽とは、阿弥陀仏(あみだぶつ)の住む世界のことをいいます

 

10世紀に入ると、「」(ひじり)と呼ばれた民間布教者として、空也(くうや)という人物が登場します。

彼は京の都で、ひたすら念仏を唱えることの重要性を説きました。

 

また天台宗の僧であった、源信(げんしん)も忘れることのできない人物です。

源信は『往生要集』(おうじょうようしゅう)という書を著しました。多くの仏典から地獄と極楽浄土の姿を描き出し、浄土へ至るための念仏の方法を示しました。

 

11世紀に入ると、末法思想(まっぽうしそう)が流行し始めます。

末法思想とは、釈迦(しゃか)が亡くなると、しだいに仏教が衰え、釈迦の教えが行われなくなる時代がくる、という考え方です。

 

釈迦死後、正法(しょうぼう)→像法(ぞうぼう)→末法(まっぽう)へと進んでいくと信じられていました。日本では1052(永承7)年から末法が始まるとされており、このような思想が浄土への往生を願う人々の数を増やしていきました。

 

さらに、このような浄土信仰の高まりを背景に、極楽往生を遂げたと信じられた人物の伝記である「往生伝」も数多く作られました。有名な著作に慶滋保胤(よししげのやすたね)が著した『日本往生極楽記』があります。

 

浄土の信仰は10世紀以前からもありましたが、9世紀後半以降の増大する社会不安を背景に、この世(現世)での幸せだけではなく、あの世(来世)での幸せを願う人々の間に浸透していくことになりました。

そして、多くの僧たちによる努力と末法思想という考え方が、現世の不安から逃れようとする多くの人々の心を見事にとらえたのでした。