カリーライス | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

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1838(天保9)年2月16日は、大隈重信の誕生日
だそうだ。佐賀藩出身で、伊藤博文や黒田清隆内閣の
外相。1914(大正3)年には第二次大隈内閣を組織し、
第一次世界大戦へ参戦した。
 その大隈が首相在任中の1915(大正4)年12月初め。
「よろずちょうほう萬朝報」という新聞に、
「追放印度人の失踪一日夜 頭山邸から消える」
という記事が載った。頭山とは、国家主義団体「玄洋社」
の最高指導者・とうやまみつる頭山満であり、追放印度人
とは、16歳の時インドの英国人総督に爆弾を投げて
負傷させ、首に16万ルピーの懸賞金を懸けられた
お尋ね者、ラス・ビハリ・ボース29歳だった。
 大隈と玄洋社の間には、ただならぬ因縁がある。
1889(明治22)年、51歳の大隈は、伊藤内閣の
外相として不平等条約改正にあたっていた。だがその
条約改正が国辱的であるとして、玄洋社社員・杉山茂丸に
爆弾を投げつけられ、
右脚を失うのである。杉山とは、作家・夢野久作の父
だった。
 頭山の玄洋社には、苦々しい思いのある大隈だが、
身は日本国首相であり、日印協会会頭も兼ねていた。
「ボースの隠れ家は、大隈総理の邸内か?」
という噂までささやかれていた。
 話は前後するが、11月28日にイギリス大使が
外務省を訪れ、ボースら3人の印度人の身柄を引き渡す
よう要請してきた。彼らは敵国ドイツの援助を受けて、
インド独立運動を画策しているというのが理由だった。
日本政府としては、日英同盟の立場上3人に国外退去命令
を出さざるを得なかった。
 ボースを匿っていた頭山とて、国の決定に表立って
逆らう事は出来ない。さりとて欧州航路に乗せれば、
上海か香港あたりで捕まってしまう可能性が高かった。
捕まれば殺される。義に生きる頭山に、そんな事は出来
なかった。困った。どこかに隠れ家はないものか。
 そんな時、「そう言えば店の裏のアトリエが空いて
いる」と、頭山に言った
男がいる。新宿中村屋の主人・相馬愛蔵である。
ボースら国際指名手配犯の身柄をあずかり、事露見の暁
にはその身は切腹、お家は断絶という事態にも
なりかねない。
「一商人といえど、相馬愛蔵・男でござる」と、
仮名手本忠臣蔵十段目のあまかわや天河屋義平の如き
セリフを言ったかどうか。ともかくも愛蔵は、危険覚悟で、
ボースとグプタを匿う事にした。頭山邸から新宿中村屋
まで彼らを乗せた車を運転したのは、大隈外相を襲った
杉山茂丸。日印爆弾男の奇縁だった。
 中村屋裏のアトリエは、荻原守衛(碌山)が設計し、
つい先頃まで画家の中村つね彜が住んでいた。それゆえ
炊事場やトイレもあった。そこで2人の印度人を迎え
入れたのは、愛蔵の妻・良(筆名・黒光)40歳だった。
 新宿中村屋を実質的につくり育ててきた女主人・
黒光は、愛蔵以上に「任侠の人」だった。いざとなったら
私が罪を一身に被ろうと胆を決め、2人の印度人の
世話をやいた。英語は女学校時代から得意だったので、
何とかなった。加えて中村屋はパン屋である。朝食の
パンには事欠かない。
 しかし、印度人の食事の好みがわからない。黒光が
困っている所に、ボースからメモが届いた。
「カレー粉・骨付きチキン・野菜・スパイス類・
ヨーグルト・・・」
ボースが「カリーライス」と呼ぶものの材料だった。
 カレーは1872(明治5)年、西洋料理指南なる本で
初めて紹介され、20年を経てようやく庶民に普及する。
このカレーライスは、イギリスから取り入れた
洋食で、インド料理ではなかった。
 ボースは黒光に、ベンガル風カリーライスの作り方を
伝授した。これがカリーパンと共に今も続く、中村屋
看板商品誕生の物語である。4ヶ月半に及ぶアトリエ
滞在の間に、ボースは相馬夫妻を「父母」と呼んで慕った。
「義によってこういう命がけの経験をいたしました間柄と
いうものは、肉親の親子以上の親しみと敬慕の念を感じ、
私は名残惜しさに流れる涙を抑え抑えして、窓にすがって
離れてゆく自動車のあとを見送りました。(黙移)」
と、黒光は自著の中でボースとの別れの時を語っている。
 頭山は「天洋丸事件」による対英外交の弱腰を非難し、
日本政府にボース残留を認めさせるのだが、英国大使館は
私立探偵を雇って、ボース探索を続けた。この為ボースは、
水戸・静岡から再び東京へと、転々と居を移さざるを
得なかった。
「ボース1人では心許ない。昼夜身辺に寄り添う婦人が
要る。俊子さんなら、英語も出来るし申し分ない」と、
頭山が無茶を言い出した。
 俊子とは相馬夫妻の長女で、この年20歳。中村彝が
俊子に求婚し、黒光との仲が険悪なものになった事も
ある。だが今度は、俊子も黒光も同意した。
ボースは後藤新平と犬養毅が保証人となり、5月に頭山邸
で挙式の運びとなった。相馬夫妻とボースは、文字通り
親子になったのである。中村屋のカリーライスは、
何やら人間世界の深くて不可思議な絆の味がする。