1587<道満丸景虎と小姓の戯言>      (天正戦国小姓の令和見聞録)

1587<道満丸景虎と小姓の戯言>      (天正戦国小姓の令和見聞録)

天正元年(1573年)から数えて452年目にあたる令和六年での道満丸景虎と小姓の戯言でござる。<天正戦国小姓の令和見聞録>

★そなた達が今神宮外苑で目にしておるのは、偽りの歴史の産物でござる。2020年には東京では五輪はなかったと思われておるやむしれぬが、実はあったのでござる。令和の新国立競技場は長持ちはせぬ。ZAHA案の真の競技場がそのうち突然あらわれるはずじゃ。そなたらは悪夢をみているだけじゃ。★


「一五八七」<道満丸景虎と小姓の戯言0001>

此方の父上が鮫ヶ尾城主の裏切りに合い、伯父の手に落ちたのは確か1579年の春でござった。祖父が突然亡くなり養子同士で跡目争いの中此方の弟と母・二人の幼い姫達も父の後を追った。勝頼殿の仲立ちもあり、伯父上と父上との争いでの和議を結びに春日山城へ憲政殿と此方(身代わりの弟)は向かったが、突然伯父上方の刺客に殺害されもうした。誠にもって無念でござる。その時をもって跡目争いは決着したと思われたが、国内の諸将は新しい国主の振る舞いに合点が行かず、10年にも及ぶ反抗の嵐が止むことはなかったのじゃ。
 令和の歴史書では辻褄の合うことしか記してはおらぬ。跡目争いの真相は歴史小説が半ば近いものと思って良いが、真実にはほど遠いものがござる。架空でも良いから時代小説で思い切り想像力を働かせて初めて事の真相に近づけることもあろう。此方は祖父からの書状を手にしておる。早く申せば遺言状でござる。伯父上はこの書状を奪還するため執拗に阿賀北の地に攻め立てた。姻戚にあたる重家殿の支援で此方の元服まではなんとか10年間は凌いでおった。祖父の妹である大叔母は阿賀北の地にある加地城の城主の正室でござった。其の子秀綱殿は伯父とは従兄弟にござるが、犬猿の仲でござった。伯父上が秀吉殿に臣従し越後の金銀を全て上納しようとしておったのを、反乱軍で食い止め、春日山城を奪還した後、新たな幕府を開いた。この10年の経緯を小姓の仁科がしたためておる。歴史には絶対はない。其の時代の歯車が少しでも狂えば歴史に波紋を作り、新たな歴史が始まるという事じゃ。1587年はそういう年でござった。


<道満丸景虎と小姓の戯言0001>episode1,season1
(天正戦国小姓の令和見聞録)
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春日山城、鳴海幕府(開府1587年)
お屋形様:上杉道満丸景虎
見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太
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※副題
「<道満丸景虎と小姓の戯言0001>episode1,season1」
(天正戦国小姓の令和見聞録)
◆index
season1(0001-0100)
season2(0101-0200)
season3(0201-0300)<2024.march>
season4(0301-0400)
season5(0501-0500)
※episode:各1~100話

<道満丸景虎と小姓の戯言0001>episode1,season1
(天正戦国小姓の令和見聞録)
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春日山城、鳴海幕府(開府1587年)
お屋形様:上杉道満丸景虎
見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太
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「サブタイトル」

 本文(400~2000字) □□□□□□□□□□□□□□□□□
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一五八七<道満丸景虎と小姓の戯言>

 

 

<道満丸景虎と小姓の戯言0262>episode262,season3

(天正戦国小姓の令和見聞録)

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 春日山城、鳴海幕府(開府1587年)

 お屋形様:上杉道満丸景虎

 見聞録及び戯言検め:小姓 仁科源太

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 ◆天正四百五十二年 十月弐日

 

「総選挙自公過半数割れ二百議席未満の衝撃。手の平返し、敵前逃亡内閣の末路」

 

 令和幕府での九人による御屋形選出決戦で石破殿が勝ち抜ちぬかれた。拙者の推した林殿は四位に留まったが、次期総裁選での勝利の布石にもなっておる。代議士は通常、弁士とも言われるが、悲しいことに雄弁実行という政治家はおらぬようでござる。石破殿はマイナ保険証と既存の紙の保険証廃止の見直しをハッキリと明言し、早期解散も慎重を期すと総裁選では言っておったが、その発言も反故にし手のひら返しで十月二十七日総選挙と打って出てしまった。最高権力を手にしてしまえば、勝てば官軍負ければ賊軍ということじゃな。石破殿も林殿も総裁選が終わればマイナ保険証・紙の保険証廃止の見直しは前言を完全撤回とする暴挙にでておる。状況はことなれど水原一平氏のあの疑惑の一夜での前言撤回とたいして変わらぬ。G7の中では保険証との紐づけは日の本だけというではないか。いくらITの利権絡みとはいえあまりにも弱者に寄り添う姿勢がまったくないのは問題でござる。大義のない解散総選挙では自民党が久しぶりに下野する姿をそなた達は目にするかやしれぬ。領民が命より大事な保険証が政争の具にされることに怒りを覚えているのじゃ。ポイントに目がくらんだ者達はいまからでも遅くはない。マイナ保険証の解除の手続きが十月から可能と厚労省のアナウンスがあった。しかしである。システムの不具合で解除ができないという軒猿からの伝聞があったが、このまま2ヶ月間システムの不具合で解除できないおそれもござる。そのときは諦めるしかないが、唯一解決策がござる。政権交代で法律を変える(もとに戻す・紙の保険証存続)ことでござる。マイナポータルのシステム障害や震災の激増でデジタル依存だけでは領民の命の保証はできぬと存ずる。裏金議員は百人ほどおると軒猿から聞き及んでおるが、選挙での非公認をしないかわりに比例重複をできなくする案があるようでござるが、それでも生温い感は否めね。しばらく間をおいて石破殿は裏金議員の公認と比例重複を認めたと軒猿からの知らせが入っておる。石破殿は詭弁士にでもなったのかとお見受けいたす。短命内閣は間違いないと存ずる。日米地位協定は毎月弐回ある日米合同委員会を無視してそう簡単に変えられるものではない。アジア版NATOは亜米利加の許可が必要じゃろう。なぜなら日の本は戦前の立憲君主のリーダーであった昭和の帝がやってはならぬ日米開戦を強行し、敗戦後はGHQの隷属化を皇室の存続と引き換えに桑港講和条約で、半永久的な米軍駐留・広島・長崎へのジェノサイドの容認と原爆の是非を問わないことを確約しておるからでござる。昭和の帝は戦後マッカーサーとの十数回の会談を行い、ホイットニー文書のようなお考えに変わった様子も機密解除されておる。今の日の本の領民はその流れで生かされておるというわけじゃ。昭和の帝は追い詰められた戦況を有利にし講和に持ち込もうとしたと聞いておる。ミッドウェー海戦後早めに講和に持ち込んでおれば、東京大空襲や原爆投下・沖縄の悲劇・全国都市無差別攻撃も避けられたかもしれぬ。いまさら拙者が申してもあとのまつりじゃが。野党では立憲野田代表が選挙本部長、小澤殿が副本部長というコンビで総選挙に臨むようでござる。野田殿は十二年前の安倍政権に下野されたリベンジは相当のものがござる。それでも領民が石破政権を支持するとなれば日の本は終わりになるじゃろう。野党に期待しなくても与党を引きずりおろす役目を担わなければ、そなた達領民の未来は閉ざされる運命にあることを肝に命ずべきでござる。投票所に行かず棄権すればするほどそなた達は自ら首をしめるという認識はもつべきで、実りある選挙の結果とこの国の再興を拙者は信じておる。

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